[女の舞]が素晴しい

むかし、こんなことを書きました。・・・・・

皆さまこんばんは。
土曜のBS日本のうた、「女の舞」を繰り返しみています。
会場で聞いた時は、耳を澄ますべく心構えをつくったつもりでしたが、何か、あっという間に唄い終わってしまった感じで欲求不満。非常に丁寧に唄われた印象は残っているのですが、あまりにも早く終わってしまったというのが正直な感想でした。どうせなら3番まで唄って欲しかった、そんな思いが強く残りました。この感じ、きっと私だけではなかったと思うのですがご参加の皆さまは如何でしたでしょうか。

放送を視聴して改めて思うのですが、やはり姫はとてつもなく上手かった、私はもう背筋がゾクゾクするような感動を覚えました。「女の舞」での、弱音と強音の見事な使い分け、とくに弱音でのひっぱりと微妙なゆらぎ、ゆらぎについては研究会でどなたか以前にお話をされていましたが、なるほど今回の歌唱で良くわかります。オーディオで言えばダイナミックレンジ、これが姫の場合にはかなり幅が広くて音程が崩れない。これが、聴くものをその世界に引きずり込んで行く一つのテクニックでもあるのでしょうか、その他、魅力はいっぱいあるのですが、まあ、これについては音楽に造詣の深い“おじちゃん”様のご見解も伺いたいものです。
そんな訳で、この歌、「BS日本のうた」?では是非収録して頂きたい候補の一曲に挙げたいと思います。

近年はもう、ずっと亜矢姫CDばかり聴いています。よくもまあ飽きもせずと我ながら感心するのですが、亜矢姫の声、歌唱法には何か人を心地よくさせ或いは感情を昂ぶらせる何かがあるのかなと、そんなことをしきりに考えています。どなたかご専門の方がいらしたら、姫の声をオシロスコープで表して頂きどこに違いがあるのか研究発表をお願いしたいぐらいの気持ちです。

“みづは”様、お礼を申し上げるのが遅れております。「心中天の網島」の研究発表、とくと読ませて頂きました。これで名作歌謡「小春」の理解もずいぶん深まりました。有り難うございました。
楽しみにしているNHKリサイタルが近づいてきました。ああ~また見られます。

以上、2005/10/17演歌桜・亜矢桜に投稿

 亜矢姫が唄われた[女の舞]は未だCD化されていないと思いますので、ここでは
 美しい映像と姫の唄で展開されるgennyou1さんの[女の港]を楽しませて頂きましょう。
 (こういう作風、新しい芸術分野かも)

国定忠治の来歴

国定村のある赤城山麓は遠く南北朝の時代に足利尊氏と覇を競った新田義貞揺籃の地であるという。
また、国定の地名は新田氏の家臣団につらなる国定氏に由来することが高橋敏さんの著書に見える。

国定家に伝わる古文書「国定村浪士新古貴賤順席正記」によれば「古百姓拾六軒皆由緒有ル浪人也」とあ
り、国定家を根本大先祖に十六苗が受け継がれ、そのうちの一つが長岡氏であるという。忠治は世が
世であれば新田氏にしたがう武家、長岡氏の血脈を継承する家に生まれた。
農家としてはかなり裕福であったらしいが、父の死後は子供ながら馬方をしたとの話もある。

弟の友蔵さんは真面目で人々から尊敬を受けるほどの人であったというが、忠治は羽倉外記(元代官
)から「劇盗」と呼ばれるほどのアウトロー振りを発揮する。しかし、羽倉外記が著した「赤城録」では
、天保の飢饉のとき、本来公儀が行うべきことを忠治がやった任侠美談に羽倉の受けた衝撃は大きく
、穴があったら入りたいに程に己が不甲斐なさを「赤城録」に記しているという。

さらに、高橋さんはこう述べている。
「かっての学者代官が、極悪人として磔刑に処せられた忠治の実伝を著述していた事実だけでも、さ
まざまな想像を掻き立てられるには十分であろう。忠治にとっても、みずからの実伝が実務に優れた
幕吏にして文人であった羽倉外記によって書き残されたことは、何よりの冥加ではなかったろうか。
・・・・・」
また、歴史学は、人々が意識の奥底で語り思いつづけてきた民間の民情の歴史=稗史(はいし)を、
長く大衆文学や芝居・講釈・浪曲・映画等の芸能の世界に閉じ込めてきた。虚実皮膜の境界にあって
人間の怨念や思いが詰め込まれ、人々の記憶の奥に埋蔵された稗史にこそ、歴史の真実があるように
思われる。・・・・・と。

忠治を題材にした研究本や小説は、最近発刊されたものは無いように思われますが、ネットや図書館
で検索すればかなりのものがみつかります。
この中のほんの数冊に目を通しただけで、それを受け売りしても訪れて下さった方には何の興趣も湧
かないと思いますので、あまりくどくならないようにしたいと思います。ただ、忠治さんには愛人が
数人いたのですがその中に“女侠”いわれる程の豪気で痛快な女性がいましたので、この方について
はあと少しご紹介を続けたいと思います。


それではここで、忠治さんの来歴を記しておきます。
1810年(文化7年) 上野の国佐位群国定村(現在の伊勢崎市東町)の富農、長岡与五左衛門の
            長男として生まれる。母は伊代、弟に友蔵がいる。

1819年(文政2年) 父、与五左衛門亡くなる。

1826年(文政9年) 人を殺め川越の大前田英五郎のところに身を寄せる。

1827年(文政10年)英五郎から百々村(どうどうむら)の紋次親分を紹介され身を寄せる。

1830年(天保1年) 紋次が亡くなり跡目を継ぐ。国定一家を名乗る。
            お鶴を女房にもらう。

1834年(天保5年) 三ツ木の文蔵の恨みを晴らすため、島村の博徒、伊三郎を闇討ちにする。
            大戸の関所の間道を通り信州飯山に身を寄せる。後、ひそかに戻って赤城
            山に立て籠る。

1835年(天保6年) 玉村宿の京蔵、主馬一家との出入りで、主馬に重傷を負わせる。

1836年(天保7年) 飢饉に際して私財を投じて米銭に換え窮民に分け与える。また、忠治一家
            の者が機業の町桐生の豪商を訪ね、飢民救済のための施金をもらって歩い
            たともいう。                  
            江戸からの金飛脚を襲い、金を窮民に分け与えたとも言われる。(義賊)
            信州中野の博徒に殺された茅場の長兵衛の仇を討つため、子分20人を連
            れて中野に向う。この時、堂々と大戸の関所を破る。この道中、原七はす
            でに捕えられていることが分かり目的を果たせず。

1837年(天保8年) 田部井村(ためがい)の名主宇右衛門と共同し、磯沼の沼ざらいを行い、
            旱魃から農民を救う。(宇右衛門は、このことに幕府から難癖を付けられ
            たと同時に忠治を匿った罪で1850年に打首となった。忠治磔刑と同年
            である)

1838年(天保9年) 板割りの浅太郎、忠治一家に加わる。

1842年(天保13年)田部井村で賭場を開いていたところを、関東取締役出役に踏み込まれたが
            忠治はこの捕り方から逃れ、赤城山に籠る。
            板割の浅太郎らが勘助、勘太郎(太良吉)親子を殺害する。

1845年(弘化2年) 母の伊代亡くなる。

1846年(弘化3年) 忠治赤城山に戻る。五目牛の千代松が亡くなり、寡婦となった“お徳”が
            愛人となる。

1849年(嘉永2年) 境川安五郎に縄張りを譲る。

1850年(嘉永3年) 忠治が捕らわれて大戸の関所で磔刑になる。41歳。(12月21日)
            西野目宇右衛門も処刑される。

1851年(嘉永4年) 羽倉簡堂「赤城録、赤城逸事」を著す。
            田崎草雲、忠治像を描く。

1854年(安政1年) 忠治、講談に取り上げられる。

 忠治さんは長身で色白、鼻筋通り、口は普通、月代は濃く、太り気味、体重は20貫(75キロ)
 総合評価は大変な美男にであったと言います。

 以上は、「国定忠治とその外伝百三十話」大塚政義著 上毛新聞社刊
     および「国定忠治」高橋敏著 岩波新書刊 を参考としました。

赤城落ち異聞

忠治さんの赤城落ちを題材にした歌では、矢島寵児さんの「名月赤城山」と野本高平さんの「赤城山」が
ありますが、どちらも同じ題材を扱いながら詞の趣は全く違っています。

「名月・・」の方はお芝居でも見ているような客観性を持った抒情的な詞になっていると感じますが、
「赤城山」の方は忠治の心情を自らに語らせる口説き歌になっていると思います。これによって、「赤
城山」は聴く者にとっては、よりリアルで直接的に訴えかけてくるものがあります。
もちろん、これは亜矢姫の為に創作された歌であり、亜矢姫以外の方が唄う姿は到底想像できない程
に完成されたものになっているので、聴くものも自然に人間らしい忠治さんの世界に入り込んでし
まいます。

高橋敏さん著の図書には、「国定忠治」「国定忠治の時代」があります。両方とも学問的に考証されてい
てとても読み応えがありますが、この「忠治の時代」の本の表紙カバー見開きにこんな一文がありまし
たので、引用してみます。

・・・忠治と読み書きといえば、思い起こされるのは、菊池寛の「入れ札」(1921年『中央公論』)で
ある。フィクションとはいえ、往時の文化社会の実態を生き生きとと描写している。岩鼻代官を斬っ
て(これは虚構)上州に居れなくなり、大戸の関所を破って信州へ逃げる忠治と子分11人の大所帯の
一行。
お尋ね者の忠治でございと街道を闊歩でもすれば捕り手の思う壷。逃げ了せるためには、子分を減ら
し目だたないようにしなければならない。忠治は悩む。
八州の追及から生死を賭けてともに闘ってきた可愛い子分を選別しなければならない。そこで、思い
ついたのは「入れ札」であった。子分11人は、誰が忠治の友をしていくのが最もふさわしいかを、入れ
札(投票)しなければならないのである。半紙一片に矢立を次々に廻しながら仲間一人を選んで書き
込む。驚くことに無筆はたった一人、他は仮名が多いとしても、名前をしっかり書いているのである
。・・・

著者の高橋さんは、上記の本のなかで当時の手習い塾について詳しく書いておられるのですが、ご自
身の研究とこの菊池寛の小説が一脈通じるものがあると合点されたのではないでしょうか。

さて、この短編小説、忠治と子分たちそれぞれの心模様が描かれていて、人間の思いの致すところは
今も昔も変わらないと感じさせます。全ては優しさと思いやりなのでしょうか・・・・・
これを下記のサイトで読むことが出来ますのでアドレスを貼っておきます。お時間がある折に読んで
頂ければ幸いです。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/47858_32247.html

赤城落ち

天保13年(1842)の8月19日、田部井村(現伊勢崎市田部井町)で賭場を開いていたところ
へ、突如関東取締役出役の捕り手が襲ってきた。忠治は日光の円蔵とともに血路を開いて赤城の山に
逃げ込むのだが、この手引きをしたのが二足草鞋の博徒、勘助(三室勘助)だったと後で判った。
勘助は子分浅次郎(板割りの浅太郎)の伯父である。このとき浅次郎は田部井の賭場にいなかったた
め、勘助としめし合せて自分をはめたと疑われ、それを晴らすためには勘助の首をとってこいと忠治
に迫られる。二心の無いことを証明するには、浅次郎はこれを実行する他なかった。

9月8日深夜、浅次郎他8名が勘助の住まい(借家)を襲い、槍で突き殺してしまうが、このとき勘
助に抱かれて寝ていた2歳の幼児[太良吉]まで殺してしまった。
(この家の貸主は津久井要蔵という人だとか・・あのマネージャーさんと同じ姓。ひょっとして?)

関東取締役出役に敵対してきた忠治の勘助殺害は、明らかに幕府に対する挑戦であり、事態はこれを
きっかけに幕府の威信をかけた大捕り物へと発展してゆく。
・・(以上は、高橋 敏先生が羽倉外記[号は簡堂~国定村の代官を務めたこともある旗本]が著した
「赤城録」を考証して執筆された図書「国定忠治」に拠ります。)・・

このような状況となり、忠治は赤城を落ちていくのですが・・・これを題材にした話は浪曲、講談、
芝居、歌などに多く取り上げられています。
歌では「赤城の子守唄」で、死んだ筈の[太良吉]が浅太郎に背負われて生き返っているし、また、新国
劇における「国定忠治」ではあの名セリフが特に有名になり華やかな時代があったとそうですが、今は
解散してしまって、あのセリフを聴けるのは亜矢姫の歌だけになってしまったのではないでしょうか
。亜矢姫の歌は貴重です。

それでは行友李風の戯曲「国定忠治」赤城天神山不動の森の極付を
 忠治  鉄―。
 巌鉄  へい。
 忠治  定八。
 定八  なんです、親分。
 忠治  赤城の山も今夜を限り、生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の
     手めえ達とも、分かれ分かれになる首途(かどで)だ。
 定八  そう云ゃなんだか嫌に寂しい気がしやすぜ。

     ・・・雁の声。

 巌鉄  あゝ、雁が鳴いて南の空へ飛んで往(い)かあ。
 忠治  月も西山に傾くようだ。
 定八  俺ぁ明日どっちへ行こう?
 忠治  心の向くまゝ足の向くまゝ、当ても果てしもねえ旅へ立つのだ。
 巌鉄  親分!

     ・・・笛の音、聞ゆ。

 定八  あゝ円蔵兄哥が・・・・・・。
 忠治  あいつも矢っ張り、故郷の空が恋しいんだろう。
 
     ・・・忠治、一刀を抜いて溜池の水に洗い、刃を月光にかざし――

 忠治  加賀の国の住人小松五郎吉兼が鍛えた業物、万年溜の雪水に浄めて、俺にゃあ、生涯手め
     えという強い味方があったのだ。

     ・・・定八、刀を拭う。

先日、NHKで今は亡き辰巳柳太郎さんと島田正吾さんの喜寿の時の「蔵出し劇場」が再放送されてい
て興味深く視聴ましたが、お二人ともとても風格のある俳優さんでした。

新国劇には独特の型があり、中でも「国定忠治」はその名台詞とともに最も新国劇らしい「型芝居」とし
て知られていたと言います。赤城天神山不動の森の場面、大正7年の初演以来「国定忠治」といえばこ
の名場面を思い出す程のものだったと言います。
再放送ではこの場面が辰巳さんの忠治で放送されましたが、ゆったりとした大仰なセリフ回し、これ
が「型芝居」かと思わせるものでしたが、果たして今の世の中だったらどうなんだろうかと、少し考え
させられる面もありました。(亜矢姫のリアルなセリフを聴き慣れているせいかも知れません)
従来、歌舞伎でタテと呼ばれていた立ち回りに「殺陣」という字をあてたのも新国劇であると説明さ
れていました。

ところで、亜矢姫が唄う「名月赤城山」は、あのセリフ入りだけだと思っていましたが、とんだ間違い
であの6枚組CDボックスの“股旅演歌選”にはセリフ無しが入っています。アレンジも軽快な感じ
で趣が違うのですがこれも好いですね~。好きです。こんなのが有ることすら知りませんでしたが、
徒や疎かに聴いていては駄目という見本で反省です。新しい6枚組も要チェックですね。  

赤城山

亜矢姫の[赤城山]、忠治ものとしては昔の[赤城の子守歌][名月赤城山]があるけれど、2006年1
月に発売された亜矢姫のオリジナル[赤城山]が(小春のカップリング曲)人間忠治を見事に表現して
いて、これもまた、名曲とするに十分ではないかと思うのです。
特に、真に迫るあのセリフを聞くと、何でここまで表現できるのかと驚異の感動すら覚えます。

この歌を聴いてから、国定忠治という人物をもう少し詳しく知りたいという思いが、ず~っとあった
のですが、その手立てとなると色々あって手つかずの状態、本来の怠け癖も手伝って無為に過ごす日
の多いこと、多いこと、これでは何も出来ませんね~。

ようやく最近になって忠治本数冊に目を通すことができ、その人物像がある程度分かってきたので、
ここで少しずつ「よもやま話」として備忘的に書いていきたいと思います。しかし、何をどう書いて
よいやら迷いは尽きない状態ですが、意を決して始めたからには出来るだけ挫けずに続けたいと思っ
ています。はて、どうなりますやら、続けられればお慰みの積りで・・・・・。

最後には磔刑になってしまい、公儀からは見ればアウトローであったに違い無いけれど、反面それだ
けでは済まされない魅力的な人間像があったからこそ、群馬県民謡「八木節」にも歌われるほどのヒ
ーローになっているし昔からその人気は衰えず、歌、芝居、映画、浪曲など多彩に扱われています。
今でもその墓を訪ねる人は多いとか。

ところで、「赤城山」という名の山が地図で探しても見つからず不思議に思っていたのですがWeb
に、これを説明するサイトがありましたので転記します。

赤城山は、黒檜山(くろびさん、1827m)、駒ケ岳(こまがたけ、1685m)、地蔵岳(じぞうだけ、
1674m)、長七郎岳(ちょうしちろうだけ、1579m)、荒山(あらやま、1571m)、鍋割山(なべわり
やま、1332m)、鈴ヶ岳(すずがたけ、1564.7m)から成ります。 ...
榛名山、妙義山と合わせて「上毛三山」の一つに数えられ、裾野に向かって充分に延びた稜線は美しく
、群馬県を代表する名山である。「赤城山」という名のピークはなく、主峰の黒檜山をはじめとした
幾つかの峰を総称して赤城山と呼ぶ。群馬県のほぼ中央に位置し、足尾山地が関東平野に向かって押
し出そうとする所に噴出した火山である。中央火口丘の地蔵岳を外輪山が取り囲むという形の二重式
成層火山であり、火口原湖の大沼(おの)と火口湖の小沼(この)がある。車で簡単にアプローチで
き、登山のみならず種々の楽しみ方が可能な親しみ深い山でもある。


これで、十分合点がいきますね。

下に、忠治さんが活躍した地域の地図を下に貼り付けておきます。みどり市、本庄市も近いです。
 
大きな地図で見る

パソコン新調

最近、第2の職場をリタイアしたのを機に以前からやりたいと考えていたことを実行するため、新し
いパソコンを購入しました。
目的の一つは、とにかく年を食っても早々に呆けるのは厭ですから時代に遅れない程度に何事にも興
味をもって挑戦し、生き甲斐をもって人生を過ごしていきたいということ。

と、言うのは建前で、別の単純な理由も存在します。最近は韓流ブームとかに乗ってスカパーやBS
では、あちらのドラマが大流行で、家のカアチャン、テレビの前から離れないんです。
あまりの身勝手さに呆れて、このテレビ誰のものと?と権利を主張しても、これ私の物!と返ってく
る。くそっ、と腹が立っても宣言がきついから必然私の居場所がなくなります。

このような訳で、新パソコンは地デジもBSも見られるもので、録画も心置きなく見られる物をと考
えて、この仕様のものを購入しました。おかげで、僅かばかりの退職慰労金も目減りがものすごく速
いので、亜矢姫のコンサートへ出かける費用の捻出が何時まで出来るやら、はなはだ心許ない状況と
なっています。
そうは言いながら、人生、楽しみを無くしてしまってはどうにもなりませんから、こればっかしは何
としてでも頑張らなくちゃ!!と、気持ちは前向きにしています。

今時のパソコンは静かで便利に出来ています。もっとも、使い慣れしてませんから娘どもに世話にな
るのはしばしばですが、まあ、何とかなります。
旧のパソコンで使っていたプリンタードライバーは無償でダウンロード出来るし、ソニーのソニック
ステージなども最新のx-アプリを無償提供してくれます。ただ、このソフトmp3でCDへの書き出し
が出来ないのが難点ですが、Media Playerがx-アプリのデーターを自動的に読み込んでくれていて
、こちらでCDへの書き込みが出来ます。車で亜矢姫聴くのに大変便利ですね~。

それと、この頃は口コミサイトなどが便利に使えて、比較的簡単に安くて良いものがネット購入でき
ますが、パソコン購入ついでに外付けスピーカーも新調しました。東○電子の卵型ミニスピーカーで
すが、これがまた結構優れものでUSB端子をパソコンに接続するだけで自動設定してくれて、出て
くる音はミニコンポ並み、あっと驚く為五郎、じゃなかった”こがれもん”。亜矢姫の唄を聞くのが
楽しみです。

まあ、パソコンの機能の多くを使える訳では無いので身の程に応じて使っていこうと思っています。

島津亜矢さんが唄う[女の舞]

 むかし、こんなことを書きました・・・・・

夜桜挽花さま、皆さまこんにちは
初めてこちらのサイトに出させて頂きます。今後ともよろしくお願いいたします。

なにせ亜矢姫の唄を生で聴かせて頂くのはほとんどなく、従って報告などさせて頂くことはあるべく
も無く、楽しいお話はもっぱらWebサイトで読ませて頂くというのが日課となっております。
その意味では皆さまにお礼のご挨拶が遅れまして申し訳ないことと思っております。

[BS日本のうた]金沢収録へ参加することができました。当日は奇遇としか言いようが無いと思うの
ですが、長い列にならんで待ち合わせたにも係わらず、亜矢姫サイトの有名人亜矢武士さま、亜よい
しょ~ッ!さま、夜桜挽花さま、亜kaneさま、それと奥様方の黄半纏着用の皆さまの真後ろに席を得
ることが出来、いろいろお話をさせて頂くことが出来て誠に幸運でございました。
そして皆さまのご報告にもありますように、亜矢ちゃんが皆さんの方を見据えて手を振っておられま
したね。何か私も得をした気持ちでいっぱいです。ご参加の皆さま、改めまして有り難うございまし
た。

それにしても亜矢ちゃんの人気は凄いです。収録後のビデオチェックの間、ご出演の歌手の皆さんは
舞台上一列に並んで塩屋アナとの感想インタビューがあったのですが、収録後の気楽さもあってか堰
を切ったように飛び交う亜矢ちゃんコールが凄かったです。金田たつえさんが「たつえもおります!
」と、思わず声を出されましたが、それほどの大声援でした。
他の歌手の方のてまえ、それにいちいち応える訳にもいかず、敢えて他の話題に振っていく亜矢ちゃ
ん、謙虚で優しく思いやりのある心根が痛いほど解りました。
お母さんの教えも色々あったと思いますが、こんなことは習って出来るものでは無いと思います。や
はり元来が頭の良い方なのだと思います。こんなの見ているとますます好きになります。

歌唱曲の一つ「女の舞」、亜kaneさまが詳しく報告されておられますが、大月みやこさんの歌で、そ
こそこヒットした歌だそうです。しっとりとした曲調で、何度も聞きなおして良さが判る曲と感じま
した。非常に丁寧に唄われたと思います。テレビ放映が大いに楽しみです。

番組収録の感想ですが、生演奏で聴く場合、聞き慣れもあると思いますがアンプで大きく増幅した音
が前方に据えられたスピーカーから大音量で出てくるので、総じて声音は判るのですが微妙な歌いま
わしはほとんど判らず、歌手の個性が分かりづらくて、みんな同じように聴こえてしまうきらいがあ
ると思いました。

コンサートは、その意味では別の楽しみ方をしなければいけないのでしょうね。
ホールの特性もあると思いますが、クラッシックホールなど使用されるようになれば音響効果もよく
て、より楽しみが増えると思います。
ひょっとして、下らない偏見でもあるとしたら問題ですがコンサートホールなどは分け隔て無く使用
して頂きたいものです。

かって、三枝茂彰さん(東京音楽大学教授)の、あるトークショウを見たことがありますが、その時
三枝さんから演歌絶品との話が出ました。私など、ちょうど荒尾のBS亜矢姫スペシャルを視聴した
ばかりでしたら、絶品といわれる程の歌手、亜矢姫以外にはいないと解釈しました。今では、なおさ
らのこと、その感は深くて大きくなっています。

今度、亜よいしょ~ッ!さま、ならびに亜kaneさまのお力添えで、目出度く後援会入りが近いと思い
ます。今後ともよろしくお願いいたします。
今年はリサイタル観賞、2会場を予定していますが、多くの亜矢友の皆さまにお会いできれば嬉しい
ことと期待しております。

以上、2005/9/17演歌桜・亜矢桜に投稿
(ここで唄われた[女の舞]、CD収録はまだのように思われます)

元禄男の友情[立花左近]

 むかし、こんなことを書きました・・・・・

さて、リサイタル初日も無事に終えました。各サイトでの多くの方々の感動のご報告に、読ませて頂く私もいちいち頷きながらそれぞれの場面を思い出しております。ありがとうございました。

今年も例によって色々の曲をとりまぜて聞かせていただきましたが、みんな素晴しいものでした。
中でもあの大曲[立花左近]が凄かったですね~、何が凄いって、あの声、あの声ですよ、終った後の洪水のような拍手の嵐、それが何時まで経っても止まないんですね~、姫様もしばし呆然、そりゃあ、誰しもあの唄あの声を聴いたら恐れ入りましたとひれ伏すしかありませんね~超感動のひと時でした。
私もその洪水の中に飲み込まれてしばし忘我の境地でしたが、お蔭で歌詞もなにも分からずじまい。そこで昨日、CDショップで三波春夫さんの[立花左近]を仕入れてきました。これから観賞される方も多いと思いますから多少の予備知識として下の歌詞を一読して下されば幸いです。

《元禄男の友情 立花左近》作詞構成:北村桃児(三波春夫)作曲:春川一夫
♪忍ぶ姿の 哀れさに   真、武士なら 泣かずに居よか
♪時は元禄 ゆく春に   咲くも華なら 散るも華  
♪男立花 名は左近

♪松の並木に 灯がゆれて   今宵泊まりは 鳴海の宿か
♪夢は遥かな 江戸の空    めぐり合わせの 糸車
♪誰が解くやら つなぐやら
 以下省略・・・(現在ではアルバムに多く収録されていますので)

大石内蔵之助以下、赤穂の浪人たちは各々の身分を隠して江戸へ、内蔵之助は京の公卿の名家日野家の用人立花左近と名乗り、堂々として江戸を目指します。
ところが偶然にも休息していた宿で、本物の立花左近に遭遇してしまいます。成り行きはご存じの通り。男気があり情に厚い立花左近の歌物語。三波春夫さんの歌謡浪曲でした。
 
さて、長編名作歌謡劇場[お徳]。
以前に、あるWebサイトでのエッセーで村松友視(村松梢風さんは祖父)さんが、オペラの[椿姫]と[残菊物語]が非常よく似ていて重なる部分が多いという事を書いておられましたので、私は興味をもって[椿姫]のDVDを購入して視聴しました。
成る程シチュエーションはほとんど同じと言っていい位、よく似ています。このDVDでは主人公のヴィオレッタをエディタ・グルベローヴァとうソプラノ歌手が演じていましたが、やはり最後のところは泣かされました。
さらに、溝口健二監督の古い映画[残菊物語]もレンタルして見ましたが、この時代のことがよく表現されています。特にお徳が瀕死の床にあるとき、片や晴れの船乗り込でお披露目凱旋するという映像の対比はとても印象深くて忘れることができません。

とにかく、亜矢姫の演じるものは何でも知りたい、そんな気持ちに駆り立てられてのことでした。

今度の[お徳]の場合は姫様の一人歌芝居ですから、オペラに比べてその演出が非常に難しいだろうなあとは想像していましたが、舞台は大仕掛けで亜矢姫は大熱演、見事な演目でした。特にエンディングの演出はやはり泣けました。(今年の劇場公演では、この[お徳]が再度上演されました。)

以上、2007/10/21演歌桜・亜矢桜に投稿

サイドバーにあるリンク先は、ファンの方が開設している亜矢姫に特化した代表的なホームページです。こちらからは多くの掲示板、ブログ等、亜矢姫関連サイトへのリンクも貼られていますので、ぜひご訪問下さい。

今日は、亜矢姫のオリジナルではありませんが[刃傷松の廊下]を
聴かせてもらいましょう。

作成者はgennyou1さんです。

島津亜矢さんの[夢見鳥]

むかし、こんなことを書きました・・・・・

[鏡花水月]とは鏡に映った花、水に映る月、美しいが、ただ見るだけで捉えることができないもの、実態がなく掴みどころのないもののたとえと辞書にありますが、それはそれ、感じることがすべてとスポーツニッポンの百瀬晴男さんがアルバムのしおりに書かれています。素晴らしい文章で読み応えがあります。

平成16年4月25日放送、沖縄からの[BS日本のうた]で亜矢さんはキム・ヨンジャさんとスペシャルで共演をされましたが、このとき[帰らんちゃよか]がテレビで初披露され、また[梅川]を聴いて私は涙したのを鮮やかに思い出します。
このときは永井龍雲さんはギターの弾き語りで[暖簾]を熱唱されました。普通は亜矢さんの出演シーンしか記録に残さない私ですが、永井さんの映像は亜矢姫とともに残してあります。

今度の[夢見鳥]はこのときのご縁で楽曲の提供を受けることになったのでしょうか。永井さんの作品には誰もが持っているであろう普遍的な日本の風景、心象を詩に託して語る情感豊かな感性がありとても素晴らしいと感じます。私はとても好きです。
このような訳で、会報が届いて今度のアルバムに永井龍雲さんの楽曲が収録されると知って、期待に胸を膨らませていたところでした。

[夢見鳥]、期待どおりの好楽曲で心に沁みます。[島津亜矢]という稀代の歌手に唄わせるという取り合わせと楽曲自体の持つ普遍的なテーマと相俟ってとても素晴らしい曲になっていると感じます。
もう何度聞いたことか数え切れません。人それぞれの感性で好みの曲はあるはずと思いますが、私はまずこの曲が心に沁みます。

日本のどこにでも、また、誰にもあるような原風景が詩に託されて見えてきます。
また、姫の歌唱はそんなに気張るところもなしに情感タップリと唄い上げ、聴くものをぐいぐいその世界に引きずりこんで行きます。

“誰もが笑顔で乗り込んだ、正月帰省の最終列車がホームを出て行ったけれど、自分はそれをただ寂しく見送るだけ、いつかあのように胸膨らませて列車に乗れる日がくるかしら、まだ先が遠い気がする。今日は晦日で除夜の鐘が鳴り出したけど雪が舞ってきて寒い、もう遅い、独り部屋へ帰って痩せ布団に包まって眠ることにしようか、故郷の夢でも見たい。”

“遠いあの人が恋しい、心が疼いて鳴く自分は川千鳥か、納涼夏花火の人ごみの中でそっと繋いだ手の温もり、心が通ったあのひと時が忘れられない。思い出せばとても感傷的になって涙が頬を伝う、くるくる回るかざぐるま、なんでもないものだけどなぜか昔が目に浮かぶ。戻りたいなあ~、いや戻れない、心がちぢに乱れて寂しさがつのる“

“故郷を離れて早何年も過ぎてしまった、豊年秋祭りのことが目に浮かび、トントンちんちんお囃子が聞こえてくる、あの太鼓の音あの鉦の音みんな心に浮かんで懐かしい、親兄弟とも逢いたいな~、そしてあの人はどうしているだろう、帰りたい、いや帰れない、今の自分は所詮逸れ鳥、夢を見るだけの想い鳥か”

以上、私なりの解釈です。意見の合わないところはご容赦下さい。

この頃の歌謡界、[千の風になって]がミリオンセラーになり、母を歌った[吾亦紅]もかなり売れているらしいけれど、今の世の中、表面上豊かな社会のように見えますが、心に悲しみや寂しさを抱いて人生を必死に生きている人が多いのかも知れません。歌によって自身を奮い立たせ、癒し、生きる糧を得ている人が多いのだろうかと考えさせられます。これらヒットの流れを思うとき、このような世情に合った歌が支持されていると感じるのです。

この[夢見鳥]、メロディーも詩もとても素晴らしく歌唱も亜矢さんというお膳立てで願っても無い好楽曲になっていると思えます。多くの人々の共感を得て、いまの世の中に“すんなり”と受け入れられるような気がするのですが、どうでしょうか。遠い昔の[神田川]に通じるような楽曲でもあると感じます。
[帰らんちゃよか]が、親が子のことを思いやる歌なら、こちらは、さしずめ子が故郷ひいては親を思う歌といえないでしょうか。

好楽曲の多いアルバム[鏡花水月]、既発売の[富士][荒波おんな船]を収録し、その他10曲は新曲新録音という豪華版、プロデューサー千賀さんの大盤振る舞いですね、超お買い得のCDアルバムです。
曲目は[日本列島二人旅][八尾恋歌][女][流氷番屋][お立ち唄][風の祭][おきな草][追憶の破片][越後路ながれ旅]、それと先に紹介しました[夢見鳥]を収めて素晴しいアルバムになっています。
みんな良い歌です。“風の祭”はポップ調で特にメロディーが美しいと感じますが、このアルバム、19日の東京でのリサイタル鑑賞日帰り旅の7時間、車中でじっくりと聞かせてもらうつもりにしており楽しみです。
you tube から


以上 2007/10/17 演歌桜・亜矢桜に投稿
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    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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