京都への小旅行

11月25日に、京都の城陽市でNHKの「ごきげん歌謡笑劇団」という番組の公開収録がありまし
たので出かけてきました。会場は「文化パルク城陽」というところです。
「パルク(PARC)」とはフランス語で広い公園という意味だそうですが、この中に文化ホールや、図書
館、プラネタリウム、歴史民俗資料館などが複合的に収容されていてとても立派な施設でした。

番組は綾小路きみまろさん主体のバラエティ物ですが、今回の出演は歌手の川中美幸さん、細川たか
しさん、島津亜矢さん、それとお笑いの宮川大助・花子さん等の豪華な顔ぶれでした。内容も、とて
も充実したもので、観覧する方も楽しい思いをさせてもらいました。放送は来年1月7日だそうです
からこれも楽しみです。

当日の宿泊は城陽市の公共施設「アイリスイン城陽」というところにしたのですが、文化パルクから
はかなり遠かったのが難点で、これは自分の調査不足。それと、部屋にトイレが無かったのもちょっ
と意外で不便でした。もっとも、宿泊料が安かったのであまり文句はいえませんけれど。

それより、かなり得した気分なのは昼食に予備知識なしで入ったアイリスイン近くの天ぷら屋さん、
店名は「天ぷらすぺいす きら」というところ。ここの「天巻寿司」が特に変り種で美味しく、これ
が1000円程度、その他、揚げたての天ぷらをセットにしたメニューが1300円から2000円
チョイ程度までで選べる。私達が注文したのは1500円程度のものでしたが、これがまた印象に残
る美味しさでした。どうせなら、もうちょっと高いのを注文すればよかったと思いましたが、これは
後の祭り。
このお店、昔の言葉でいうならコストパフォーマンス抜群のお店という表現がピッタリで、近くなら
、また訪ねてみたいと思うほどですが、遠くて残念です。

翌日は、有名な京都市内の東福寺、南禅寺などの紅葉見物をしてきました。少し時期が早いかしらと
思っていたのですが、どこも思いの外の真っ盛りで、見事な紅葉見物となりました。
訪れる予定にしていた、永観堂禅林寺については、土産物店に立ち寄った際に小耳にはさんだ評判が
(拝観料が高い割に感動も少ない)あまり良くなかったので境内拝観は敬遠しましたが、参道の塀越し
に見られる紅葉はなかなか見事でした。

今回もまた、亜矢姫様と亜矢友様のお陰をもちまして、いろいろと楽しい思いをさせてもらいました。
感謝、感謝です。 (添付の写真はサムネイルです)  
   東福寺通天橋近くの紅葉
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          永観堂禅林寺門前
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      南禅寺境内
      R0010548.jpg R0010558.jpg R0010562.jpg 


 

師父の心

むかし、こんなことを書きました。・・・・・

つぎ穂さま、亜矢だよりへの投稿、採用されて何よりでした。新宿コマ劇場のコンサートも、ちょう
ど星野哲郎先生がお見えの時に会場にいらしたのですね。そして北島三郎さんご登場と、思わぬハプ
ニングがあってなおさらに思い出の深いものとなったのではないでしょうか。お祝い申し上げます。

さて、今日は司馬遼太郎さんの小説「北斗の人」を読んでいて、こんな名文に出くわしました。あま
りに亜矢姫の状況に似ていると思い、少し書き写してみましたので読んでみて下さい。

・・まだ若い千葉周作に父幸右衛門が言います。・・
「一人の才能が土を割って芽を出し、世に出てゆくには、多数の蔭の後援者が要るものなのだ。とこ
ろが才能とは光のようなものだな。ぽっと光っているのが目あきの目にはみえるのだ。見えた以上何
とかしてやらなくちゃ、という気持ちがまわりにおこって、手のある者は手を貸し、金のある者は金
を出して、その才能を世の中へ押し出してゆく」
「それが私のことですか」
周作はどんな顔をしていいかわからない。
「お前のことさ。いや厳密にはお前のことじゃねえ。お前の才能のことだ」
才能は世の中の所有(もの)だ、公器のようなものだ、だからこそ世の中の人は私心を捨てて協(た
すけ)てくれる、自分のものと思わずに世の中のあずかりものだと思って懸命に磨け、恩を報ずるの
はそれ以外ない、・・・・・


父親を実の父とも仰ぐ星野哲郎先生に、周作を亜矢姫に置き換えて読めば何かピッタリだとお思いに
なられませんか。[大器晩成]では、先生はまだ早いまだ早い、と姫の袂を引っ張っておられるような
詞になっていますね。姫もまた、従順にその道を歩もうと決意しておられる。(ラジオインタビュー
等)美しい師弟愛ですね。
私なんかは、もう既に大きな存在になっておられると思うのですが。

それにしても、亜矢姫には後援者がいっぱいです。星野哲郎先生をはじめ作詞、作曲、編曲の先生方
はもちろん、色々の歌をぶつけて、さらに編曲まで加えて感動的な唄を聴かせてくれるNHKさんも
そうですね。さらに、まだまだ多くの方々がおられます。
そして亜矢姫関連サイト開設の方々、さらにそこに集われる皆さま方の思いがまた、熱いですね~。
これらの多くの後援者を得て、姫はこの先、さらにさらに大きな存在になって行くのでしょう。そん
な時代を共に生きられるのが嬉しいです。

以上、2005/7/13 感謝状サイトに投稿

作詞家の星野哲郎先生が、2010年11月15日に御逝去されました。亜矢姫の寂しいお気持ちは
如何ばかりかとお察しますが、絆は永遠です。先生のお心を胸にさらなる前進を期待します。

今日は、2005.3.28発売の[大器晩成]を gennyou1様の動画で聴かせてもらいましょう。

人別帳

お徳の人別帳
五目牛村の千代松の家に月雇の奉公人としてくる(天保7年3月)前のお徳には大きなトラブルがあ
ったようである。茶屋の看板娘の徳は目立つ存在で明朗、活発、利発で読み書きも出来るので、引く
手あまたの中、高井但馬守知行所の村の豪家に望まれて嫁ぐことになるのだが、婚家の嫁暮らしが耐
えられずお徳は了承もなく出奔してしまう。婚家では心当たりを隈なく探すも見つからないので、困
りきって領主高井但馬守陣屋にまで、事態の糾明を訴願する。
高井家では他支配の五目牛村まで出張して糾明に当たったのであるが、事態は元に戻らず損害賠償等
の示談によりお徳はトラブルから解放されることになった。このとき、天保8年(1837)徳22才。

この3年後千代松の奉公人「月雇女」徳は千代松の女房に変身する。臨時の月雇女のままでは女房に
なれず、人別の移入がなされなければならないので送籍が行われる。
天保11年(1840)保証人になってくれた中里村の親類の名主利兵衛から送籍が行われた。
     送手形之事
 一 此方佐兵衛娘とく当子ノ廿五才、其御村千代松女房ニ同村半次郎仲立ヲ以て致縁組差遣申候、
   然上は此方人別帳相除可候、巳来御村方人別御帳面ニ御書加可被成候、為後日送手形差出申
   処仍而如件                               
                                 酒井奥左衛門知行所
                                 西上州群馬郡中里村
                                   名主 利兵衛 印
   天保11子年4月
   平岡四郎兵衛御知行所
    東上佐位群五目牛村
    御名主 直右衛門殿へ

  この方の佐兵衛とく二十五歳を五目牛村千代松の女房として同村の半次郎を仲人にして結婚の
  上差遣わします。当方中里村の人別帳から除きますので、以来五目牛村の人別帳に書き加えて
  下さい。              
(以上、高橋敏 著「国定忠治を男にした女侠」より)

 ※人別帳についてはWebサイトに以下のような記述がありましたので引用します。
江戸期の”人別帳”は町人にしろ農民にしろ、その戸主が家族・雇い人(奉公人)の構成・年齢・出
身地などを記して檀那寺に納めた書類に対して、寺院がその住民はキリシタンでは無い旨の証明をす
る形式であり“宗門人別帳”と呼ばれています。このために、戸籍台帳としての機能を果たします。
ある人が無宿人になるのは、何らかの咎(トガ)で”所払い”の判決が出ますと現在の居住の場所か
ら身元引受人のある場所(出身地の親や親戚縁者)に移る事を意味しますから、雇い主から檀那寺に
申請した引越し・移送理由を記した”送り一札”と云う身分証明書と移動許可書を発行してもらいま
す。この”送り一札”を持った人は身元引受人の元に赴き、この書類を渡しますと、この引受人の檀
那寺に”送り一札”は届けられ、この引受人のもとにある人物として、この寺の”寺請証文”が発行
され、引受人が了解した”請込一札(受籍状)”とあわせた2通の書類が送り状を発行した檀那寺に
届けられて戸籍の抹消と新戸籍の成立がなされます。
しかし、所払いの人が身元引受け人のもとに出向かずに”送り一札”を渡さなければ、この段階から
戸籍が宙に浮き、これが”無宿人”であり、再び人別帳に記載されるためには引受人のもとに出向い
て居住地を定めてもらう必要があります。


上の“お徳”の場合は名主間において書類上のやりとりでもって人別帳の除籍、入籍が行われている
ように考えられますが、最終的には檀那寺に送られていたのでしょう。
江戸時代の戸籍制度が宗門人別改帳にあったようですから、実務は名主が行い寺への届は後で行うと
いったことが実態としてあったと思われます。
村役人は村方三役(名主・組頭・百姓代)で構成されて村落内の行政を行っていて、その代表を東国
では「名主」、西国では「庄屋」と呼ばれる例が多いといいます。

亜矢姫の「赤城山」を発端にして忠治さんのことを調べながら、こんなことまで勉強させてもらえま
す。昔、立花隆さんの著書に「インターネットはグローバル・ブレイン」というのがありましたが正
に実感します。インターネットは素晴らしい!!

読書する徳(還暦寿像):サムネイル
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忠治さんが愛した3人の女性

忠治さんには3人の女性がいました。その名は正妻の鶴、愛妾の町、それに「鷙悍」(しかん)の徳です
。この他にも下仁田の“小出かね”、野沢温泉に住んでいて後に「忠治地蔵」を作った”畔上つま”
という人もいたそうですが、忠治が大戸の関所で処刑されると、すぐに「忠治地蔵」を作って近くの
薬師堂に奉納したのは、この“つま”さんだと言われています。よほど情念が深かったのかもしれま
せん。
忠治地蔵は、現在須坂の寿泉院にあるそうですが、むかし野沢温泉村にあったものを須坂に住んでい
る人が買い取ってきて奉納したとされています。「中風除け」の地蔵様として拝まれているようです。

忠治さんの行動範囲は相当に広くて、山梨県大月市の猿橋上での捕り物騒動は津本陽さんの小説にあ
りますし、他に新潟の弥彦あたりにも足跡があるといいますから旅がらす生活も結構に長かったので
しょう。現実に勘助殺し以降4年ほどは会津方面に隠れ住んでいたと言われています。

3人の女性のうち、
“鶴”は正妻で忠治にひたすら仕えた従順な女性であったと言われますが共に暮らした時期は2年あ
まりと、短かったと言われています。
“町”は忠治と同い年、いったん結婚して村を出たが離縁して帰村しているところを忠治に見染めら
れて愛妾になりました。町は天保8年(1837)田部井村名主小弥太養女から、忠治の弟友蔵の「厄
介」(居候)として人別帳に登録されましたが、これは忠治にたのまれて友蔵が、書類上「厄介」という
身分で入籍させたことになっています。

“徳”は忠治より六歳年下で、3人の中では最も若い。有馬村(現渋川市)の小農の娘に生まれ、21
歳のとき五目牛村(現伊勢崎市赤堀町)の千代松のもとに月雇いの奉公人として入り、24歳で正妻を
追い出し後釜となったとされていますが、実は以前から交情があったらしい。千代松が忠治と昵懇で
あったため、夫の病没後会津方面への逃亡から帰った忠治と出会い、以降愛憎の中となる。

忠治が弘化3年(1846)の冬に故郷の赤城へ戻った時は、片腕の円蔵や武闘派の浅太郎らの股肱の
子分達の姿はすでに無く、回りにいるのは老境に差しかかった幼なじみともいえる子分達ばかりであ
り、一家の凋落を身に染みて感じる状況となっていたのですが、“徳”はこの状況下であえて忠治の
妾となり、以後忠治が磔刑に至るまで陰に日に忠治を助けて、最後は華々しい最後を演じさせるので
すが、この女性こそ「女侠」といわれる“菊池徳”です。

この女性“徳”を、羽倉外記は「鷙悍をもって愛せらる」と評して自身の忠治伝「赤城録」に記してい
るそうですが、他鳥を食い殺して生きる鷹などの猛鳥にたとえて表現しているのだといいます。
徳は自立した強い女性であり、一町6反余を所有する独立した地主経営者で、千代松亡き後の一家を
切り盛りし、蚕繁盛の経済動向を察知、養蚕業を基盤に金融にも手を染めるやり手でした。

お徳は忠治が捕えられたとき一緒に捕えられたのですが、白洲に呼び出されたとき、役人から「お前
は忠治のめかけか」といわれたとき、「忠治がわたしの おかけ だ」と応えたといい、役人はお徳の
気性の激しさにたまげたと伝えられているそうです。
忠治が最後に惚れた女性“菊池徳”とは、いったいどんな女性であったのか、また、忠治はどんな最
後を演じたのか、高橋 敏さんの著書を引きながら、少しづつその顛末を追ってみたいと思います。

忠治さんのことを書いているのは、亜矢姫の「赤城山」が発端です。
今日は、REOREO0141様がアップされている「赤城山」を聴かせてもらいましょう。

当世カラオケ事情

むかし、こんなことを書きました。・・・・・
最近のカラオケブームにのって、NHK BS放送でも夏木ゆたかさんの司会による「BSカラオケ
塾」が始まりました。既に数回放送されていますが、視聴する限りでの公開録画会場は満員盛況にな
っているようです。内容はプロ歌手お二人と作曲家の先生お二人が素人さん四人に歌唱指導するとい
うもので結構楽しい内容となっています。

さて、我が町にも公民館を会場にしてカラオケ教室が開講され、結構に人気を集めているようです。
講師はレコード会社の認定を受けた先生が週一回ペースで出張してこられ、生徒(こちらの場合は比
較的高齢者)指導を行っています。そこでの歌唱指導はほとんど新曲が対象となっているとのことで
、生徒さんにしてみれば新曲が覚えられるということで、それなりに人気があるようなのです。
また、生徒さんは時期が経つと受験料を払って昇級、昇段試験を受けるという制度も確立されている
ようです。

カラオケというとスナック或いは歌謡喫茶、カラオケボックス等でテレビ画面見ながらマイク片手に
唄うものとばかり思っていましたが、今時は素人が舞台で唄う時代となっているのですね。カラオケ
教室は全国津々浦々にあると思われますが、この事情を考えますと新曲がいろいろのヒットチャート
でそれぞれ発表され、また意外な歌手の新曲が上位にランクされたりすること、或いは順位が長続き
しないなどの事情はこんなところにあるのかもしれません。いわば、レコード製作会社の販売企画戦
略がこの方面でも着々と実行されているのが実相なのかも知れません。

ところで、18日のNHK BShiで「美空ひばり・日本の郷愁を歌う」という番組が放送されまし
た。視聴された方も多かったと思いますが、率直に申し上げて、これまでの‘ひばり回顧番組’の中
では最高のものと感じました。
小椋佳さんの作曲による日本各地の郷愁を歌った全集ものですが、非常に美しい映像とともにひばり
さんが歌われるものでした。またまた、小椋さんの才能を深く知らされた番組でもありました。
今年2月、丸亀からのBSスペシャルでキム・ヨンジャさんが歌われ、亜矢姫がずっと側で口ずさん
でおられた、あの‘函館山から’もひばりさんで聞けました。こんなアルバムがあったのですね。
mori様のページで知りましたが亜矢姫もこの歌を2002BS函館で唄われたのですね、残念ながら見逃し
ています。
思うに、これらの歌すべてを亜矢姫の声でも聞きたいと、つくづく思いながらの視聴でした。

いずれ再放送もあると思いますが見逃された方は是非ご覧いただきたいと思います。特に映像が美し
いです。そして小椋さんへの期待ですが亜矢姫にも是非曲を提供して頂きたい、本当にそう願わずに
いられませんでした。
21日の歌謡コンサートに小椋さん出演されますが、亜矢姫とともに期待しています。

以上、2005/6/20亜矢姫倶楽部に投稿

「美空ひばり・日本の郷愁を歌う」はアルバム「旅ひととせ」の内容をトレースしながら美しい映像
と歌で構成して見せてくれるもので、とても見応えのある番組でした。
この12曲の中、「函館山から」は1月のテーマとされた曲ですが、寒々とした風景の中で流れる歌
は物悲しくて印象的でした。
これらの作品は、もともと“ひばり”さんが全曲歌うということは想定していなくて、歌手生活40
周年を迎える“ひばり”さんから1曲も誰にも渡さないで全部欲しいという要請があって、この記念
アルバム用に全部お渡ししたとのエピソードも紹介されました。

また、上の投稿では小椋さんへの期待を込めて亜矢姫への楽曲の提供を切望していますが、今年にな
って「風そして花」が舞台版「篤姫」の主題歌として提供されたことは嬉しい出来事でした。さらに
来年1月19日には今年のリサイタルでも唄われた「歌路遥かに」がリリースされるとのことで、ま
すます楽しみが増えました。

それでは、mokki888様がアップされている「函館山から」を聞かせてもらいましょう。


下りて登頂する不思議な山

亜矢姫の大阪でのリサイタル公演が2日にありましたので勇躍して参加、観賞してきました。
それも昼夜2回も、こんな贅沢いつまで出来るか分かりませんが、とにかく恍惚として聞き惚れる場
面が多くてとても値打ちのあるものでした。
会場は昼夜とも、見渡す限りの人、人、人で唖然とするほどの多さ、姫様の人気はやっぱり本物だな
あ~とつくづく感心するやら、人の思いはやはり同じだなあ~と、妙に納得させられるやらで感慨ひ
としおのものがありました。

今回、私ども二人のほかに3人の方も同行して観賞したのでしたが、高年齢者にも関わらず洋楽を聴
いても全く厭わず、よかったよかったと絶賛の声しきりで、来年のチケット予約まで頼まれてしまい
ました。さすが、姫様ですね~、この件も充分に納得できます。
私共は上阪するのに約2時間を要しますので当日は宿泊、終演のあとは大阪の亜矢友さまのお世話に
よる懇親会にも出席させてもらうことが出来、とても楽しいひと時を過ごさせてもらいました。
感謝!感謝!!です。

さて、翌日は好天に恵まれて行楽日和となり、予定の行動をするには絶好のお日柄となりました。
予てから一度訪れてみたいと思っていた「天保山」と「海遊館」も諸条件が揃わなければ行けないの
ですが、今回は亜矢姫さまのお陰をもって全てGood、念願が叶うことになりました。

先ずは日本で一番低い山「天保山」とは如何なるものか、〔天保山4.5m〕その名の通り天保2年
(1831年)安治川の底の土砂を浚え岸に積み上げて出来た人工の山だそうですが、行ってみれば
公園の小高い築山を登って下ると登頂できるという不思な山で、何か拍子抜けする程の山ではありま
した。しかし、頂きを極めるにはちょっとの途惑いを要しなければなりません。
この辺りにある「日本で一番低い山」の立て看板をみつけて、あちこち覗き見しても見つからない。
先ずは視点を広くして捜せば意外なところで登頂?出来てしまう不思議な山なのでした。
天保山登頂後は「海遊館」で巨大ジンベイザメなどを見学し、サントリーミュージアムでは巨大スク
リーンで3D映画も観賞、これらは皆、亜矢姫さま公演の付録でした。
(下の写真は天保山の山頂とその近辺です)
ブログ用写真1
天保山は二等三角点のある山ですが、「点の記」の閲覧は国土地理院のID取得が必要です。なお、日本
で一番低い山に関しては下のサイトが面白いです。
http://www11.ocn.ne.jp/~ohhashi/hikuiyama.htm
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    Author:ふうてんの猫
    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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