愛のかたち~岡本太郎さんと敏子さんの場合(1)

6月24日、NHK地上デジタルで放送されたこの番組、これまで岡本太郎さんの陰にかくれて、ほとんど
表面的なことしか知られていなかった、太郎さんの妻敏子さんにスポットを当て、その生き様を濃密にあぶ
り出して見せるという素晴らしい番組でした。
そこで、ブログネタに少し書き起こしをしてみようと思い立ち、書き始めてみたのですが、テレビだと冗漫
に流れてしまうことが、より深い意味合いをもって浮かび上がってきたりして、ズルズルとはまり込んでし
い、拙文を加えることなど、何も無くなってしまいました。少々長くなりますが少しづつ書いていきたいと
思います。なお、以下はリアリティーを保つため出来るだけ忠実に放送内容をトレースしています。


太郎と敏子~瀬戸内寂聴が語る究極の愛~

・・・今年89才になられた恋多き女性、瀬戸内寂聴さんが語ります。
男と女の出会いなんて運命だからね、だから理屈なんてないんですよ、恋愛というものは雷と一緒でいきな
り落ちてくるんですよ、だから防ぎようがないのよ。ただ、男女の関係ってものはね、お互いを高めあうも
のでなければ私はつまらないと思います。

ナレーター~鮮やかな色使いによる独創的な作品を作り上げた、その太郎と50年に亘り生涯を共にした岡本
、旧姓平野敏子、二人は共に暮らしながらも結婚はしなかった。
敏子は太郎の秘書、戸籍の上では養女だった。二人三脚で芸術を生み出してきた二人は実際どのような関係
だったのか謎に包まれていた。ところが、これらの謎を明らかにする手紙や日記などの新資料がこのほど発
見された。
そこには新しい芸術を作り出そうと模索した二人の軌跡が記されていた。さらに揺れ動く激しい愛の姿も赤
裸々につづられていた。やがてその愛は驚くべき激しさを帯びていた。
この二人の関係は今年ドラマにも描かれた。晩年の敏子は、病に倒れた太郎を献身的に支えつづけた。二人
の愛は葛藤を繰り返しながらも生涯をかけて高みへと登っていった。

寂聴・・・男女の愛の形はいろいろ千差万別ですけどね、こういう愛もあっていいんだよ、と、言うことを
ね、若い人たちは見習ったらどうでしょうか。それはもう、素晴らしいカップルだと思いますね。

ナレーター~作家、瀬戸内寂聴が新資料を読み解き、芸術に生涯をささげた太郎と敏子の愛の形を探る。
東京青山にある岡本太郎記念館の館長は敏子の甥平野暁臣氏である。
平成17年に敏子は亡くなったが彼女の部屋はその日のまま残されていた。今回、初めてその部屋が調査さ
れた。叔母の思い出を壊したくない平野館長はこれまで一度も調査したことがなかった。
'ふたり’と書かれた箱から原稿が現れた。調査では実名で書かれた未発表小説や太郎直筆の手紙など、知
られざる二人の関係を物語る膨大な資料が見つかった。

これらの新資料が京都の瀬戸内寂聴にとどけられた。瀬戸内は太郎、敏子と親しい間柄だった。平野館長は
これらの資料を是非、瀬戸内に読み解いて欲しいと依頼した。
太郎がパリに長い間逗留しているときに敏子との間に交わされた双方の手紙も持ち込まれた。その中で、敏
子からの手紙の一節に「そのようなことから抜け出せないなら絵描きなんてやめてしまいなさい」「とにか
く小さな勝負をするのをやめて岡本太郎を二人で作りましょう」「岡本太郎は少し、じょう舌になりすぎて
るのではないでしょうか」・・こんな凄い内容が文面にしたためられている。

瀬戸内が二人に出会ったのは今から50年前のことであった。「かの子繚乱」執筆にあたり、モデルとした
岡本かの子の子息である太郎に取材を申し込んだのが初めてであった。

寂聴・・そのころから太郎さんの傍らには、いつも一人の女性がいたのです。平野敏子さん、秘書だと紹介
されました。でも、すぐ解りましたね、敏子さんと太郎さんが只ならぬ仲であるということが解りました。
敏子さんは決して美人ではなくて、人をそそるようなところも無かったと思うけれど太郎さんは外見とかじ
ゃなく素晴らしい素質をみたんでしょうね、だから、聡明な敏子さんに惹かれたのではないかしら。

二人の出会いは戦後すぐに遡る。敏子が22才、大学を出て出版社に勤め始めたころだった。
出会いから4年、昭和27年太郎は単身パリに渡った。芸術の本場で個展を開くための半年間の滞在であっ
た。この程発見された80通ものエアメール、太郎と日本にいる敏子が交わしたものだ。ここには離れてい
る間に敏子が徐々に太郎の創作へのパートナーへと成長していく様子が記されていた。

この頃の敏子さんの幸せな気分は、アルバム「悠悠」の中で唄われる“明日があるなら”の情景に符合する
ような感じがするのですが、詩人というのは普遍的な愛の形まで見事な詩にしてしまうところが凄いと思う。
太郎さんは、ギターでなくピアノを弾かれたらしい。


交信の断片・・・「岡本太郎の名代として、毅然としていなくちゃいけない、なりふり構わず道一すじとい
う態度でいたいと思っています」
・・・「あんな、のんびりの楽しがりやの私が変わったものだと思います。驚異的なスピードで本を読んで
います」
・・・君は実に(僕の秘書だけあって?)よい子だ」「君の手紙の書き振りは要を得ていてわかり易く、安
心した。何でも書いて来たまへ。太郎」
・・・「私は岡本太郎にかけます。脱皮したいと思う。本当に大きなものに、何処からも測り得ないような
、現実のような、巨大な謎に」「私は社会に対してその謎のばらし役、あなたは謎の作り役。とにかく小さ
な処で勝負するのはやめて、[岡本太郎]を作り上げましょう」

ナレーター~「岡本太郎を共に作る」それが具体化するキッカケとなったのが雑誌に紀行文を連載するため
の旅だった。芸術新潮 連載 芸術風土記~各地を巡り太郎の文章と写真により日本文化を見直すという企
画である。この旅で敏子は取材中に太郎が発する言葉を記録した。この仕事は敏子に秘めていた書くことの
才能を目覚めさせた。
敏子の取材ノートが残っていた。日本全国を周って記した22冊。太郎が発した言葉や敏子が太郎の思いを
くみ取って書いた文章がびっしりと記されていた。この仕事は敏子にとって太郎の考えを理解し自分のもの
として体に沁みこませていく機会となった。

寂聴・・太郎さんが何をみてどう完結したかは敏子さんだけが解る。太郎の考えを敏子が記して発表された
著作の数々。本の仕事を通じて敏子はより深く太郎を理解していった。

ナレーター~あこがれからから始まった二人の愛は創作のパートナーへとその形を変えていった。
当時の二人の関係を物語るあらたな資料が見つかった。敏子の日記である。50年に亘って記されていた敏
子の日記、そこには意外なことに暗い心情やはげしい憤りが綴られていた。
「毎日毎日彼は出かけていき、取り残されて私は新聞を読み、たどたどしい原稿の下書きをし、これはもう
、待ってる時間でもない、そして、音がし、夜中になって、酔っぱらってとりとめもないことを喋り、「敏
子が一番好きなんだよ。こんなに、とし子とし子って呼んでるのに何で不満な顔するの。いろんなことを口
走る」
「私には、よろこびも、もえ上がりも、何もない。私は何も感じない」「女性があらわれて、彼をゴルフに
誘ったり、夜いっしょに歩いたりしている。思えばさびしい生活ではないか」

07/22のツイートまとめ

kinsyuu3

お返事有り難うございます。今度のアルバムは阿久悠さんが遺された詩10篇に8人の作曲家が曲をつけた企画ものです。持ち歌、カバー曲も多彩で、所属はテイチクです。 @toruiwa ど演歌ばかりだとちょっときついんですよね。人の曲をカバーしたCDなんてないでしょうか
07-22 21:34

最新アルバム「悠悠」の評価をぜひ。 RT @toruiwa 島津亜矢:BS日本のうた選…布施明とのスペシャル・ステージが聴かせた。本当に歌のうまい歌手だ。以前、吉幾三との時も素晴らしかった。声量が半端じゃなく、他人の歌を歌う時そのうまさは際立つ。彼女のよさを最大限に生かす曲を
07-22 18:59

愛のかたち~星野哲郎さんの場合

星野哲郎~妻への詫び状~から
星野さんは2003年10月に上梓した~妻への詫び状~の中で、故郷で療養生活をしていた頃に幼なじみ
の朱實さんと交わした青春時代のトキメクような会話を鮮やかに綴っておられる。

・・・僕は、ある女の子にほのかに胸ときめかせた。ところが、どうしたわけか、“そのひと”が僕の気持
ちを見抜いたらしく、近づいてきて、こう釘を刺した。「あの子に想いをよせたってダメよ」僕は内心ドキ
リとしながら、「どうして?」ととぼけて聞く。「だって日記に書いてあったもの。
哲郎さんに迫られて困ってるって。困ってるというんだから、ダメよ。諦めなさいな」そして「あの娘もダ
メよ」「それから○○ちゃんも」牽制されて気勢を削がれていた僕も、このあたりから「可愛い人だなあ」
と笑ってしまう。・・・

こんな間柄は自然の流れで昭和33年(1958)1月、結婚へといたるのであるが、その間曲折があって
朱實さんが先に東京へ出て就職することになる。この間交わされた双方の恋文300余通が結婚後一つにま
とめられて朱實さんによって保管された。
後年、星野さんが「僕らのあの手紙、いつか一冊の本にしたいね」と話したとき「あれはもうありません。
すべて焼きましたから」という言葉が返ってきた。
星野さんは呆然とするが、そう言われても仕方のない不義が自身にあったから仕方のないことだと内心諦め
るのであるが、ただ、知って知らぬ振りで通されたから、なおさらに懺悔の念を深くするのであった。
この手紙は朱實さんの死後、息子さんたちが家の中を整理したときも出てこなかったが2年程を経て寝室の
クローゼットの奥から見つかったと、旅先で連絡を受けるのである。

・・・僕はそれを大事に箱に入れ、折に触れて彼女からの手紙を一通ずつ読み返すようになった。旅の鞄に
忍ばせていき、旅先で読むこともある。そこには、彼女の無垢な愛があふれている。涙が止まらないことも
ある。僕よりもずっと“詩人”じゃないか、そう思うこともある。・・・


そして平成6年(1994)11月28日、朱實さんが急逝された。享年63歳。

・・・それから僕はすっかり気力がなくなってしまった。何をする気にもなれず、死ぬことばかりを考えて
しまった時期もあった。いなくなって初めて気づいたのだ。「幸せにしてあげたい」~そう思う人がいない
と、これほどまでに生きる気力が失せてしまうものだと。
僕にとって朱實は生きるよすがだったのだ。僕の予定では、僕が先にしぬはずだった。そして最後の時に、
彼女の手を取りながら、一言、言うつもりだった。「ありがとう。すべてきみのおかげだったよ。もう一度
人生を共にしたいと思う女は、きみだけだ。きみのほかに誰もいない」
僕はいずれ君の傍らに眠る。永遠に~。そのときこそ、僕は伝えそこねたこの言葉を、必ずきみに伝えよう。・・・

本の中にはたくさんの歌詞、詩が掲載されているが、特に夫婦の絆を印象的に詠った詩の一篇を書き写して
おきたい。
 
 日々戦場
  去し方を ふり向けば
  日々 戦場なりき
  われ、今日あるのみ
  然して 目前の「山」に登るのみ
  只、黙々と。

  明日のことは言わず、見ず
  いつの頃か、わが側に、はべりし
  女(ひと)あり、賢(さか)しき女なり
  われを支えて 共に
  今日の「山」に登る。

  登れば、即(すなわ)ち見ゆ
  新たなる 今日の「山」なり、
  然して われらそれに向う
  力勝る人をみても、おびえず、ほめず
  更に新しき 今日を求めて
  すすむわれらを、信ずればこそ、 


星野さんは作詞について語る
・・・詞にはポエジーがなければならない、というのが僕の持論でもある。日常の出来事をつらつらと綴っ
た日記のような詞を書いてもつまらない。そこに人の心を揺さぶる思いが込められていること、それが詞の
ポイントだと思っている。・・・

 帰れないんだよ
 ♪そりゃ死ぬほど 恋しくて とんで行きたい 俺だけど
  秋田へ帰る 汽車賃が あれば一月 生きられる 
  だからよだからよ 帰れないんだよ 

  今日も屋台の やきそばを 俺におごって くれた奴
  あいつも楽じゃ なかろうに 友の情が 身にしみる
  だからよだからよ 帰れないんだよ

  こんな姿を 初恋の 君に見せたく ないんだよ
  男の胸に だきしめた 夢が泣いてる 裏通り
  だからよだからよ 帰れないんだよ

この歌はある時期、“ちあきなおみ”さんのアルバムで印象的に聴いていたものだが、これの作詞が星野さ
んだと知ったのはつい先頃~妻への詫び状~でだ。元歌は“ちあき”さんではないようだが、大全集の中に
入れて唄っておられる。
この歌詞には私のような古い昭和生まれの者には、ひとしお身に沁みて共感できるところがあるが、ひょっ
として現代でも似たような事情を持つ人がいるのかもしれないと、思ったりもする。

さて、星野先生はこの本のなかで、提供した歌がヒットすることをひたすら願う心情がつづられているが、
幼い頃から天塩に掛けて育ててきたと言われる島津亜矢さんには、残念ながら現在までのところ人口に膾炙
する大ヒット曲は生まれていない。
星野先生はさぞかし心残りにされていたと思われるのだが、一方、あの満員のNHK大舞台上から
“星野先生!!”と亜矢さんから、この誇らしい姿を見て下さいと言わんばかりの呼びかけをお聞きになっ
て、どんなお気持ちだったろうか。
ひょっとして亜矢さんには常人と違った道を歩ませる心づもりがお有りだったのだろうか、あの‘温故知新’
からは恬淡としながらも、すべてを呑みこんだ心意気が感じられて如何にも清々しい感じがするのだが、果
たしてそれが先生の真意だったのだろうか、余人に測り知ることは出来ない。


亜矢さんは以前、ABCラジオ(朝日放送)の深夜放送で週一回金曜に、ご自身の近況を報告する「北から南
から島津亜矢」というラジオコーナーを1998年11月から2006年3月まで、7年5か月にも亘って
受け持った実績がある。
この番組での後年の放送を遠い広島の地で足かけ3年、約20か月の長期に亘って途切れがちの放送に聞き
耳をたて、内容を書き起こしてさった‘陸’さまと仰る熱いファンの方がおられる。また、放送終了後には
この内容を冊子に取りまとめて下さった熱いファンの方もおられる。
現在は、この内容すべてがmori様のホームページ Welcom to AYAMIME Landのアーカイブの中に、>北か
ら南からバックナンバー、として冊子形態そのままの素晴らしい形で収容されている。

放送はスクリプターを使わず、全て亜矢さんご自身が書き下ろした内容を自己録音して局に送り、放送され
たもののようですから、今から思えば、大変な思いと労力の籠った内容だと感じます。
特に星野先生との係わりについては、朱實奥様共々、絆の強さがよく解りますます。亜矢さんをより深く知
るには絶好の読みものです。

アドレスは当ページのリンクからも行けますが、更に、URLを下記に貼り付けます。
http://homepage1.nifty.com/morihome/ayahime/

壮大な、男達の夢

むかし、こんなことを書きました・・・・・。

みなさま、亜矢姫情報の数々をご提供下さいまして有り難うございます。いつも楽しく読ませてもらっています。
私はいまDVDビデオ「連理」を視聴したところです。
これを観て改めて感じたことがあります。リサイタル観賞では気持ちが興奮していたせいか、あのサウンド オブ ミュージックをそんなに深い思いもせずに聴いてしまいましたが、今回のDVD視聴で、その歌唱がとてつもなく素晴らしいものであることに気がつきました。
普段、洋楽などはほとんど聞きませんが、この歌はこんなにも素晴らしくて、こんなにも素晴らしい歌唱をされていたのだという思いで、新しい感動が湧き上がりました。もちろんリサイタル全体を通してもその構成も歌もとても良くて、特に「お吉」に強く意識が向かいますが、この洋楽の歌唱もとても感動的であったと、いまさらながら思うのです。亜矢さんの底知れぬ才能をほとほと感じさせてもらった次第です。
島津亜矢さんという方は稀代の逸材であることは何も素人が言わなくとも、専門家の先生方が先刻話されていますから、この事に関しては論を待たないわけですが、それにしても新しい発見があってとても新鮮です。

さて、このリサイタルの構成・演出家の中に、千賀泰洋さんのお名前があります。テイチクエンタテインメントのプロデューサーの方で、デビューの頃からずっと亜矢さんのプロデュースを手がけてこられた方だと思います。さしたるヒットも出なかったこの歌手亜矢さんを、星野哲郎先生とともに我慢強く育て上げてこられた夢追い演歌人。この方のお陰で、今私たちは「名作歌謡劇場」シリーズや、歌謡浪曲、或いは心に沁みる楽曲の数々を聞くことが出来るのだと思います。

名作シリーズでは15年間にも亘り作曲を続けてこられた村沢良介先生、編曲の池田孝春先生、さらに作詞家の先生方をも巻き込んで一大歌謡絵巻とも言える「名作歌謡劇場」シリーズを世に送り出しました。創作された不朽の名作は現在までに14作28曲、この先生方(男たち)をここまで駆り立てたのは何なのか、姫の明るさ、律儀さ、礼儀正しさなど人格の良さがあったにしても、天性とも言えるあの素晴らしい声と歌唱力を持つ逸材がここに居て、止むに止まれぬ創作意欲が沸き起こったのでしょうか、売れる確約のないものを作り続ける男たちの執念と夢、これはもう損得ぬきの芸術家としての魂の行方ではなかったかと思うのです。
前例の無い全曲台詞入りの名作歌謡シリーズ、亜矢姫はこれを見事に、感動的に唄いきっています。これは日本歌謡界の宝となりました。そう、マスコミ人に言わせて“亜矢ワールド”と!!
いずれ大全集として全曲集アルバムの発売が期待されます。

いまや、亜矢さんはコンサートの女王と呼ばれるぐらいにコンサート活動は充実しています。
全国どこのお国に行かれても、入り待ち出待ちのファンに囲まれ、会場は声かけ人気で沸きに沸いていると言われます。
歌手冥利につきますね、それでも10年ほど前はこうでは無かった。ディナーショーのお客はたった2人という時もあったらしくて、歌手としての地獄も見ておられます。このときの立会人さまには大阪のリサイタルの後でお目にかかることが出来ましたが、こんな話を伺うと、今ではとても信じられないことです。
亜矢姫さんには自分を信じてよくぞ頑張ったね~、と、言って差し上げたいが、この我慢と辛抱が今大きく花開いて私たちに、感情を同化させてくれる素晴しい歌の数々を聞かせてくれる時代が来たのです。感謝!!

大衆は常に、良いもの、感動させてくれるものを求めています。「チームしまづ」が動けばファンも動く、全国どこの地域にも早く来て欲しいと心待ちにしている人もたくさんおられる。はたまた北から南、何処へでも足を運ぶ人もおられる。結果的には、高速道路が儲かる、油屋さんが儲かる、鉄道が儲かる、バス会社が儲かる、航空会社が儲かる、ホテルが儲かる、プロモーターさんが儲かる、コンサートホールが儲かる、歌を聴く人には至福のひと時をくれて、聞かない人も働いてさえいれば、みんなみんな、幸せになれる。これほど人々に幸福をもたらし、お国のGDPアップに貢献するこの方に、いずれは褒章授けてもらいたいものと思います。亜矢姫なんて呼び捨てに出来ませんね、そう、今日だけは亜矢姫様と呼ばせてもらいます。

亜矢姫様のコンサート活動は、毎年毎年ミリオンセラーを飛ばしているのと同じ位の価値あるものと思います。これはもう大きな大きな勲章です、紅白がどうのと言っているのと次元が違う。みんな紅白に出て存在価値を示して、次に繋がる活動をやりたいからプロダクションもこの番組出場に必死になる。
まあ、NHKさんのここの担当者は独善的で視聴者の言うことなんか聞く耳持たないから、私は将来もあまり期待なんかしていませんが、大晦日の締め括りに亜矢姫様の歌を聞かせてもらって年越しさせてもらいたい気持ちはあります。しかしこればかりは、あそこを担当する方の風の吹き回しひとつでしょうかね。

ところで、私にはもう一つの願いがあります。
小椋 佳さん作詞作曲された「旅ひととせ」~1人の男が恋する人を離れて一年間日本各地の旅を続ける旅情豊かな12曲の連作(NHK放送のナレーション)があります。
この作品全部を、美空ひばりさんが40周年記念として全部私に下さいという、たっての願いで、小椋さんが承諾しお渡ししたものであると、ご本人が放送で話しておられました。
「函館山から」がこのうちの一曲で、亜矢姫様が今年の「BS日本のうた」で披露してくれました。

唄は多くの方が感じられたように大変素晴しい歌唱だったと思うのですが、姫様の唄に情念が強く出すぎて、ちょっと重いかな、という感じをもってしまいました。私は美空さんが唄う12曲全部が全部、好きではありませんが、この歌に限っては、あの寒々とした情景、風景が良く見えていたように思います。この歌の詞は旅のなかで思い出深い場所に立って、遠い昔に思いを馳せる抒情的ものになっていると思います。今度機会があればあの風景が見えるような抒情歌風な唄い方で、もう一度聞けたら嬉しいなぁ、と、思うのです。これは私の勝手な思いで、他の方には何の関係もありません。私は欲が深いのか、ただひたすらに期待し夢想するのです。

亜矢姫様にはこの先も、ますます好い歌唄ってもらって、人々にさらなる幸せを与えて頂きたい。来年は“年女”猪突猛進でますますの活躍を期待しています。時にはコンサートも観賞させて頂いて、応援に努めたいと思います。

以上、2006/12/28 演歌桜・亜矢桜に投稿

亜矢姫が唄う「お吉」のこと

むかし、こんなことを書きました・・・・・。

大阪リサイタル後の懇親会、楽しく過ごさせて頂きました。お世話下さいました、おじちゃん様はじめ地元の皆さま方、ありがとうございました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。
また、ご参加の皆さま、親しい和みの時間を共有する事ができて幸せでした。いつか、また何処かでお会いできることを楽しみにしております。

今年最後のリサイタル、知人を二人ご案内しましたが本人が予期していた以上のものであったらしく、終演後は顔が紅潮して興奮したのがありありでした。そんな様子に、お連れしたこちらまで大満足でした。

2回の公演とも満員とお聞きしました。私は午後の部の観賞でしたが、亜矢さんの唄と演技は超の字がつくほど素晴しいものでした。特に、「お吉」での迫真の演技と唄には息をのむ程に感動しました。死を覚悟したお吉には、もう世間で何も怖いものは無い、猛々しく鬼気迫るあの顔で死地に向う姿が目に焼きついて離れません。もう何も言うことなど有りません。叶うものなら、もう一度観させて頂きたい。そんな気持ちでいっぱいでした。

以上、2006/10/31 演歌桜・亜矢桜に投稿

昨晩はとても素晴らしい唄が聴けました。皆様の書き込みも、とても熱っぽくて、また久々にお見受けするお名前もあってとても感激しております。みづは様、おつた様、玉川様、dream55様のお出まし、頼もしいですね。
さて、昨日の亜矢姫、“お吉”なりきりの女性らしい感情を込めた唄い方で、ご自身の解釈を強く出された歌唱だったと思います。
いつもより優しさ哀しさがより強く表に出ていて、ちょっと聞くと抑えた唄い方に聞こえるのですが、序破急に叶ったとても素晴らしい歌唱で、ぐいぐいとその世界に引きずり込まれていく「お吉」に大感動しました。

録画を繰り返しまくり返し何べん観たことか!!、歌の持つ物語性の解釈によってその唄い方を自在に変化させるという、この非凡さはやっぱり亜矢姫ならではことだと合点しています。
NHKさまも粋な計らいで、フルコーラスでした。いやがうえにも感動が高まり結果は皆さまの感じられたとおりの素晴しいものになったと思いました。これで私は、ここしばらくのモヤモヤ(紅白不出場)が多少治まった感じです。
早速ご当局さまにメールでお礼を申し上げ、歌コン、BS放送、ラジオ等数多くの番組へのご出演を計らってくれるようお願いをしました。亜矢姫さまも事情の許す限り応えて頂けることを願っています。

我が地方でも姫様の唄の上手さと知名度は相当のもので、ことあるごとに話題に花が咲いており、期待は大きいです。
姫さまの2月のコンサート予定など、超人的とさえ思わせる公演が予定されていますが、身体だけは大切に無事の乗り切りをして頂きたいと願っています。
何せ、カリスマ性をお持ちのスーパーエンターテイナーであり、演歌界、いや歌謡界の財産ですからね~。

私ごとで恐縮ですが、生まれてこのかた、これほどまでに演歌歌謡曲(姫さまのもの)にのめり込むとは思いもよらないことです。これでも人並みに色々のジャンルの曲をチョイかじりはしたのですが、今はもう、そんなものはどうでも良くて、“おのれの心に嘘をつかず、生きてみたいと思います”の心境です。皆さま、今後ともよろしくお願いします。

平成18年12月13日 演歌桜・亜矢桜に投稿

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    Author:ふうてんの猫
    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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