御園座公演を鑑賞して

むかし、こんなことを書きました・・・・・。

亜矢姫さまの4月は超過密な公演日程でした。この後も同様なスケジュールが続きますが早く自分のところ
へ来て欲しいと首を長くして待っておられる方々も多いと思いますから、亜矢姫さまには元気で頑張って貰
わねばなりません。

楽しみにしていた御園座公演もあっという間に終わってしまいましたが、29日には私もここに出向くこと
が出来て、亜矢姫の唄を存分に堪能させていただきました。
また、旧知の亜矢友さんとも久しぶりに交流することが出来、うきうきする楽しい時間を過ごさせていただ
きました。皆さん、そりゃもう“亜矢縛り”にあった方々ばかりなので、気兼ねせずに世間の諸々のこと何
でも言えて痛快でしたね~。皆様、ありがとうございました。

歌唱曲についてはどの曲も素晴らしかったのですが、特に「戦友」は涙を拭われていた方も多く、感動の深
い楽曲となっていましたが、最後にマイクを腕に倒して地声で唄われたことが印象深く、驚きでした。
さらに「地上の星」が圧倒的な声量と歌唱で凄かった。まさに度肝を抜かれるというのはこのことでしょう。
いずれテレビでも唄って頂きたいな~というのが、正直な感想です。

思えば「戦友」も出だしはアカペラで、途中何度か転調があります。私にはこれを正確に数えることなど出
来ませんが、こうした編曲があって亜矢姫の「戦友」がより感動的な曲になっているのでしょう。
この編曲、京さん?或いは池さん?でしょうか、「船頭小唄」のときも序破急を絵に描いたような編曲がか
かっていてとても感動したものですが、このように亜矢姫の声の魅力と歌唱の魅力を存分に引き出すために
音楽家としてのこだわりをもって編曲をされるこの先生方も亜矢姫にとっては恩人の内のお一人でしょう。
千賀さん、星野先生、村沢先生、その他の作詞、作曲の先生方、振り付けの先生、バンドの皆さん、スタッ
フの皆さん、この方々も姫を盛り立てる役回りをして下さる恩人だと思います。それと最高最大の理解者で
あり支援者でもある姫のお母さんがおられる。

コンサートで姫の一つ一つの話し言葉を聞いていると、“今日の今日まで 出逢った人に 返しきれない 
恩がある”と、歌の文句にあるような姫の思いが十分に伝わってきます。
まあ、希代の歌手“亜矢”さんの魅力を引き出して世に送り出してくれる、これらの方々には、聴かせても
らう私たち聴衆からも“感動を有り難う”のお礼を申し上げねばならないのかも知れません。

さて、名作歌謡劇場「お七の恋」
名作歌謡劇場シリーズにおける星野先生の作詞は意外に少なく、「おりょう」と「お七」の二曲だけです。
2004年のリサイタルでこの「お七」が長編名作歌謡劇場「お七の恋」として上演されましたが、今回は
5年ぶりの再演でした。
私が最初にリサイタルを鑑賞したのもこの時でしたから、特に思い出が深い。まして、この時の大阪は台風
と大雨で劇場に着くまでにびしょ濡れ、それでも公演は始まりましたから嬉しかったのですが、行きはよい
よい帰りは怖い、帰りの列車は軒並み運休、ホテルは何処も満室との案内看板が、さも冷たげに立てかけて
ある。
シャッターがピシャリと閉まった駅構内は薄暗く、日頃の人波はうそのよう、さてどうしたものかと思案に
暮れている時に、あら嬉しやな20時40分に一列車だけ運行するという、勇んで乗ったは良いけれど、特
急なのにあら遅し、京都で長らく待たされて湖西周りが、米原へ、我が家に着いたの午前2時、運賃清算し
てくれたけど、ああ~、そんなのに変えられない、思い出と疲れがゴッチャになって、頭くらくらバタンキ
ュー。
こんな具合でしたから、それはもう思い出が深いのです。・・・どうでもいいこと書いてしまいました、ご
免なさい。

ところで、CD版の「お七」では、歌いだしが~吉さま恋しや ホーレヤホー~と、ありますが、このホー
レヤホーとは何?ずーっと疑問が解けませんでした。手許の広辞苑には語句さえ載っていませんから、ネッ
トを捜しまくり。
やっぱりズバリの回答はありませんが、こんなのを見つけました。
例の「山椒大夫」で人買いに売られて佐渡に流れついた安寿と厨子王の母、玉木が、粟をついばみに来る雀
を棒でおいながら、こう歌うのです。「安寿恋しやホーレヤホー、厨子王恋しやホーレヤホー」。
ホーレヤホーとは人を恋うる時に使う、唱え言葉の一つなのかと思い至った訳ですが、状況から判断すれば
それで意味が通じます。
それで、~吉さま恋しや ホーレヤホー~この一節で「お七」の恋物語の全てを言い表してしまう。
つづいて物語りの顛末が連綿と続いていきますが、最後は~お七吉三の・・焦がれ節~と、歌われて最後の
絶叫で終わります。星野先生、さすがに凄いですね~。

もっとも、長編名作歌謡劇場「お七の恋」ではこのホーレヤホーは歌われず、在原業平の詩が読まれます。
・・・とろりとろりと命火燃える・・・と、歌いだし「すべてこの世は夢芝居 降る雪を袖にてはらう乱れ
髪・・いとしき人に逢いたくて 夜更けに灯す命火は 師走間近な吉祥寺 花の大江戸に火をつける そん
な大それたことなど思いもよらぬこと・・」と語られて・・・この辺りまでは“お七”さんもまだ正気。
ところがあれこれのことを思うと、気持ちは焼き焦がれるほどに昂ぶって、・・・「飛んで行きたいあなた
の側へ 恋の闇路をひとすじに 思いつめれば心も乱れ 罪は覚悟の火をつける」・・・ここで“お七”さ
ん狂気になってしまいます。
こうなったら頭の中は真っ白、無機質な木偶人形と化してしまいますね~そこで亜矢さんの“人形ぶり”が
踊られます。
この踊りも良かったですね~、亜矢さんの足の運びなど“糸操り人形”そのままのようで、見ごたえがあり
ましたが、願わくばもうちょっと見たかった。振り付けは花柳糸之先生です。

この“人形ぶり”は江戸安政年間(150年程前)に歌舞伎で小団次という方が演じられたのが最初と言わ
れますが、現代でも「櫓のお七」が演じられる時にこの人形振りをやるのは約束事になっているそうです。
文楽では“人形ぶり”がどのように演じられるのかは知りませんが、とにかく「櫓のお七」は演目にあるよ
うです。とにかく、「お七」ものではこの“人形振り”と“櫓登り”がセットになっていてクライマックス
を迎えるようです。

今年の劇場公演の場合は、終わりの方の演出が少し変更されていましたが、個人的には以前の方が感動が深
かったような気が・・・これは人それぞれですね。

長編名作歌謡劇場は、毎年のリサイタルで新作が演じられますが、旧作も“出し物”として立派に生きてい
ますから、作品もどんどん積みあがっていきます。
思うに、亜矢姫の場合は1人の歌手として捉えても、超スーパーな歌い手さんあることは世間の認めるとこ
ろですが、さらに役者を凌ぐほどのセリフもこなす、また他を圧倒するリズム感もお持ちですから踊りも上
手、あれこれ想像するに、何であんな短時間であのような事が出来るのかしらと不思議に思うこともありま
すね~。とにかく、天性のマルチな才能を持った凄い凄いエンターテイナーだという事に思いが至ります。

今、亜矢姫の名作歌謡劇場シリーズ、長編名作歌謡劇場を思う時、創作意欲に燃えた音楽作家はもちろん盛
り立て役の周囲の方々がいて下さって、姫は新しいジャンルの芸道を確立されたと言えないでしょうか。
この途切れない一本の道、ファンはもう、次は何を演って下さるのかしらと期待に胸を膨らませているので
すから・・・
これから、まだまだ素晴らしいものを唄い演じて下さる。期待されますね~。もちろんテレビ出演も期待し
ます。今でも思い出します、呉でのあの迫真の演技と唄を。

それではこの辺で止めにします。ながながとお付き合い下さり、ありがとうございました。
さあ~私はこれから次に向けて、せっせと小遣い貯めよ~っとね。失礼しました。

以上、2009/5/1 演歌桜・亜矢桜に投稿

不埒者の“ふうてんの猫”

むかし、こんなことを書きました・・・・・。

ごくごくたまに出てきて皆さまにご挨拶もせずに書き逃げする不埒な“ふうてんの猫”でございます。
管理人ご夫妻さま始めここを訪れる皆様、勝手に上がりこませてもらいますが、どうかよろしくお願い致し
ます。
そしてタンブル様、その節はご挨拶せずに書き逃げしてしまい、まことにご無礼いたしました。(普段は“
こがれ”奴の影に隠れているものですから表向きご挨拶がし辛くて・・・お顔もちゃんと存じ上げているの
ですが・・・ともあれ今後ともよろしくお願い致します。)
今日は、タンブルさまの20日の書き込みに思わず共感を得てしまって、遅れ遅れて、のこのこと浮かれ出
てきましたが、どっちみちビッグな情報を提供できる筈もなく、例によっての書き込みは一人合点の猫のた
わごと、斜め読みでもして下されば有り難いというものでございます

さて、亜矢姫さまのスター性(格の違い)についてですが、私もタンブルさまに似た様な思いをしている一
人でございます。また、多くの亜矢姫ファンの方々も同様な思いを抱いておられるに違いないと思っている
のでございますが、如何でございましょう。
これについては、私は先日の大阪城ホールでの収録現場に運よく居合わすことができ、その模様を実際に見
ることが出来たのですが、この時の収録風景からしてもその風格というものを大いに感じずにはいられませ
んでした。
あの時のメインと言えば“名”においてはスペシャルのお三人、“実”においてはアコースティク楽器を伴
奏にして唄われた別のお三人ではなかったかと思うのですが、テレビを視聴された方々においてもこのよう
に思われた方は多かったのではないでしょうか。それほど“実”の方のお三方が素晴しかった。

姫の「蘇州夜曲」が終わって山田アナと川中さんのMCに移ったのですが、山田アナは開口一番「蘇州夜曲
」のことを口にして川中さんに振ります。川中さん応えて“まるで持ち歌のようでしたね~”と、これの繰
り返しが2回もあったのです。
もっとも、ここのところはカットされていて放送されませんでしたが、収録現場ではこんなやりとりがあっ
たのです。お二人とも余程この歌唱に感じ入ったのでしょう。
この名歌唱、忘れがたいものになりましたが願わくばフルコーラスで唄って頂きたかった。もちろん「浪花
節だよ人生は」も圧倒的なものでしたが、元歌は細川さんではなかったのですね~知りませんでした。

そして、姫のあの立ち居振る舞い、タンブルさまも仰るように何とも絵になります。さらに、歌の後先に見
せる、あの“にっこり”とされるお顔、故意の作り笑いでは無くごく自然にかもし出される笑みはスーパー
なスターにしか出せない雰囲気だと感じさせられます。みなさま、よくよく録画をご覧いただいてご確認く
ださい。
“これから唄うから聴いてね”と、言葉に出さないながらも“にっこり”で訴えかけてこられる、聴かせて
貰う方は自然に神経を集中させて聞き耳を立てる、こんなに自然に約束ごとをさせてしまう力が凄いと思う
のです。

これとよく似た例が“ひばり”さんにもあります。
昨年末に、BS2において“ひばり”さん特集の再放送があって、私奴も4時間ほどの間我慢して視聴しま
したが、かの“ひばり”さんにも歌の後先における“にっこり”がそりゃあもう頻繁にみられました。
このことを特に印象深く感じて亜矢姫の場合はどうなのだろうと、ず~っと考えておりましたが、やはり昭
和の歌姫と平成の歌姫、共通する部分があるのですね~、放送における亜矢姫の“にっこり”を見て、ああ
やっぱり、とつくづく合点したのです。
スーパーなスターが見せるこの“にっこり”に聴衆は磁石に引き寄せられるように気持ちを集中させてしま
います。こんなところがスーパースターでしか持ち得ない一面なのだと改めて認識したことでした。

さて、話はかわりますが、“ミュージシャンはお菓子と同じで売れ過ぎるとすぐに忘れられる”という揶揄
があります。流行にとらわれずに、ひたすらに歩む姫の信念の道は、私たちにわくわくするような期待感を
抱かせて止むところがありません。このスター街道は、これからも末広がりに大きくなって行くに違いあり
ません。
さて、今から“おつう”さんのCDを聴かせてもらいますから、この辺で失礼をさせて頂きます。
埒もない話をぐだぐだと失礼いたしました。それでは、にゃ~お~。

以上、2009/1/22 亜矢姫談話室に投稿

演歌・歌謡曲 中興の立役者

むかし、こんなことを書きました・・・・・。

今日は、先日からちょっと気になっていた事を書かせて頂きます。ただ、駄文ですので、あまり内容はあり
ません。明日の大阪リサイタルの報告があるまでの時間つぶしに雑把にお目通し頂ければ幸いです。

最近はカラオケファンの質が変わって、素人が楽譜を手にして歌手もどきのパフォーマンスをやって楽しむ
人が大勢います。音楽出版社もこれらの人たちをターゲットにして、耳ざわりが良くて、それ程歌唱技術が
無くても唄えるようなものを次々と提供します。
このような時代を背景にプロ歌手の方々も新曲を引っ提げて必死にキャンペーンを張る、オリコンなどのヒ
ットチャートの上位を目指して、ひたすら全国キャンペーンに飛び回る、そんなことが多いようです。
好きな歌の道とは言えその努力は並大抵ではないと感じますが、ラジオ放送の歌番組などを聞いていると、
こんな姿がこの世界の常道だと解ります。こんな道も、昔、亜矢さんが歩いた道、このサイトに集うファン
の皆さまは先刻ご承知ですね。

やがて、これらの歌の中からヒットが出ればそれこそ一躍スターになって将来が約束されますから、この努
力は怠ることができません。しかし、人の心を呼び覚まして支持を得るのは並大抵の事ではないから、成り
行き任せで運にたよるということもあるかもしれません。「大器晩成」の詩にある“まぐれあたり”という
やつです。
プロ歌手と名の付く人は何方であれ歌は上手いし、素人とは歴然とした差がありますが、こんな方々をして
も世間で認められるようになるには、心に響く持ち歌と努力と運が作用する厳しい世界だと言えるのではな
いでしょうか。

先日、小室哲也氏の事件報道に関連してNHKさんが取材した音楽評論家氏が今の音楽界の世相を語って次
の様な話をされました。その内容が強く印象に残ったのでここでご紹介します。
すなわち、「今はプロの唄を聴きたいというファン層が出てきて、これまでの時代とは明らかに様相が変わ
ってきた」と解説していたのです。
“プロの歌が聴きたいという時代に様相が変わってきている”思えば、私などは時代の捉えが甘いから、こ
のようにシビアな時代感覚で評論する方がおられることに新鮮さを感じたのです。そして、あることと符合
して成る程と合点がいきます。
あの、亜矢さんのリサイタルやコンサートでは大勢の人々が集ってその会場を埋め尽くし、熱い感動に浸り
きっているではないか、また、例え身の上に喜べない事があっても亜矢さんの唄に癒されて生きがいを得て
いる方もおられるではないか。正に、このことだと!

評論家氏は時代が変わってきたと話されたが、単に歌好きやカラオケファンが変心したのではなく、今まで
関心の薄かった人々が何かのきっかけで、これぞプロの歌というものを聴いてしまって、その、あまりに凄
い「唄の力」に感動して熱心に耳を傾け始めたというのが実相ではないのか、こうした新しいファン層を生
み出した相乗効果が“プロの唄”を聴きたいという時代潮流を起こしている、という事に、合致するのでは
ないか、そう思えるのです。
そして、この流れを敏感に捉えてNHKさんが、あの「クローズアップ現代」に取り上げたのでした。

あの番組中では、新人歌手の方、或いは歌う作曲家がヒットさせている状況をクローズアップして放送され
ました。紹介されたあの方々の清新な曲やその歌声が、この世界の興隆に影響を与えている面があることは
確かでしょうが、しかし、この方たちが全てとはとても考えづらい。
NHKさんは、放送にあたっては新人の方々をターゲットとして絞ったが、公共の放送においては無難な取
り上げ方で、例えば、亜矢さんの人気度、多彩に唄える実力、コンサート数、その動員力、アルバム、DV
D等の売り上げ、どれをとっても新人とは比較にならない程の実績の差がある筈で、特にテレビ、新聞等の
メディアを使ってアルバムの宣伝広告等が惜しげもなく繰り返し行われている亜矢さんの状況は、若手のア
ーティストとしては珍しいことで、まさにこれも時代の潮流と言えるのではないしょうか。

放送された、あの方々がこの潮流を起こしている根源では無く、“立役者”は島津亜矢さんではないのかと
私は叫びたいのです。なぜなら、単にCDの売り上げだけが全てでは無く、音楽活動の全てが対象とされる
べきものと思うからです。その点、あの放送はやや掘り下げ不足の感はありましたが、あの大きな番組で歌
謡界を取り上げてくれたのは、まず喜ぶべきことではありました。

プロとは何か、大衆に向け唄って聴かせてひたすらヒットを狙うプロもいる、一方で歌は芸道だと信念を固
めて地道な努力を積み重ね、一筋の道を(亜矢さん語録)突き進むプロもいる。どちらもプロだが、プロ中
のプロとはやはり素人には真似の出来ないパフォーマンスが出来る人を言うのでしょう。こちらは芸を磨く
のに長い時間がかかるだろうし、苦労の山も大きいだろうと思うのです。
この後者の典型が島津亜矢さん。苦節何十年という言葉があるけれど、亜矢さんはもう22年にもなる。
積み上げたその努力の山は大きくて、魅力がいっぱいで、多くの人々はその麓に集って一声出るのを待ちわ
びる。これは信仰と言える程のもので、亜矢姫が神に近いと信じている人も多いに違いない。
唄で聴かせて、声で聴かせる、知る人ぞ知る神秘の大スター亜矢姫(神秘だから知らない人も少しはいる)
を、マスコミ界でも足でかせぐ記者さんなら、その実力がハンパでないことは十分ご承知でしょう。
あの藤山一郎さんや高木東六さんが語録を残しておられ、星野先生やテイチクのディレクターさんが、この
娘と見込んで王道を授けて育てあげた逸材なのですから。

ところで、亜矢さんは韓国のスーパースターと言われるイ・ミジャ(李美子)さんとの邂逅以来、あること
に感じて心に秘めたことがあるといいます。例えば年末恒例の紅白などへの出演意欲についても、ファンに
してみれば意外な程に恬淡とされておられるように感じます。秘めたものが何であるのかは伺い知れません
が、亜矢さんという方はそういう方なのですね。そうであればなお更に是が非でも出て頂きたいと願うのが
ファンの心理でしょう。
呉でのBS放送収録のときも、市内の別会場へ同時中継される程の人気ぶり、いや亜矢さんが全てとは言い
ませんが、コンサートなどへの集客状況を考え合わせれば自然にそう考えたくなります。
この希代の逸材、亜矢さんのこの状況を天下のNHKさんの優秀スタッフが知らない筈がない訳で、これま
でが無体すぎた。
今年こそは、亜矢姫が望む望まないに関係なく無理やりにでも引っ張りだして欲しい。これがファンの切な
る願いです。

亜矢さんの唄声を聴く時、何とも言えない感動を覚えますが、その感情の昂ぶりは熱い涙となって頬をつた
う時もある。こんな涙ならいくらでも流したい、と、そう思うのです。

以上、2008/11/20 演歌桜・亜矢桜に投稿

細川ガラシャ「お玉」のこと

皆様良い年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。


申すもはばかることなれど
日州どのがおんひめは
衣通姫もただならず

祇園の懸想文売りが都の大路小路にふれあるいていたという。・・・司馬遼太郎さんの小説「胡桃に酒」の
書き出しである。・・・胡桃に酒は、食い合わせらしい。すなわち“たま”と“忠興”は食い合わせではな
かったかとする物語であるが、なかなか面白い。以下、この小説を拾い読みしながら“たま”の生涯を断片
的に捉えてみたいと思う。

「衣通姫」(そとおりひめ)
というのは、遠いむかし、允恭亭の第二妃だったと伝えられる美女で、その容色のかがやきは衣を透したと
いう。(今日、4日の演歌桜・亜矢桜掲示板で“みづは様”が和歌の浦の玉津島神社のことに触れておられ
ますがこの神社の祭神3柱の内1柱がこの「衣通姫」。何か不思議なご縁をかんじますね~。)
「日州どのがおんひめ」と懸想文(恋文を代書きしたもの)売りがいう丹波の国主明智日向守光秀の三女も
そうであると比喩しての、はやし言葉であるから余程の美女であったに違いない。

この姫を細川家が迎える。
当主は細川幽斎(藤孝)であった。幽斎は当初、足利家の直臣であったが後に織田家につかえ軍功があり、
光秀が丹波をあたえられると同時に、日本海に面した丹後の国をあたえられ、宮津城主になった。しかし細
川家はもともと京侍の出であるためにその先祖以来の城館が京に近い桂川のほとり勝竜寺村にある。そこに
長子忠興が住み、平素は信長の近習としてそば近くに仕えている。嫁はこの忠興に配せられる。嫁が入るべ
き城館は、山城勝竜寺城であった。

亜矢姫が唄い演じる「お玉」は、自我の葛藤をキリスト教の信仰心によって救いを求めるということが全篇
をつらぬいて脚色されていたと思うが、宗教をメーンに据えれば信者以外の方には、その奥深いところまで
はなかなか分かりにくいところがあったと思われる。
この小説にはお玉の信仰の内面がすこし書かれているので、これを少し引用して理解の一助にしたい。

・・・悲しむ者は幸福なり。
傾倒の最初はこの言葉からであった。父母とその一族を失って自らも配所に移されたとき、“たま”はこの
世で自分ほど不幸ななものはないと思ったが、この言葉を吐いた人はおそらく生きている者の悲しみの底ま
でなめつくした人であろうと思った。
“たま”のキリストへの傾斜は忠興がそう思っているような思想的な関心でなく、キリストの肉声を最初か
ら恋うた。キリストの生身への恋情であり、あがくようにしてキリストの肉声をより多く知ろうとした。
これは忠興にはかくさねばならなかった。
「天主はへりくだる者に恩寵をあたえ給い、傲慢なる者には敵対し給う」ということばを聞いたとき、傲慢
なる者として、父を殺した秀吉の今を時めく姿を思った。彼女が復讐すべき秀吉はたれの手を待つまでもな
く、キリストの敵対を受ける。この断言は儒教にも禅にもなかった。
光秀の遺児である彼女としてはこの世のいかなる者――忠興も含めて――よりもキリストを恋い奉るのは当
然であろう。・・・

ちなみに、1587年(天正15年)に秀吉はバテレン追放令を出していて信仰は自由ではなかったから、
“たま”がこの頃からガラシャ婦人と呼ばれたわけではなく、そう呼ばれ出したのは明治期に入ってからだ
という。

・・・忠興については、キリストの肉声はいう。「世の大名高家と人の子等に頼みを懸くることなけれ、彼
らは扶くる力を持たざればなり」と。“たま”を救う者は忠興ではない。
「終に彼等の生命はほろびて土に帰るべし」さらにキリストは二人の主人をもつな、と激しくいう。天主の
みに仕えよ。「何人も二人の君に仕ふること叶はず。宝を主人とし貪欲に身を渡して、しかも御あるじ天主
を思ひ奉る事叶わず」・・・と。

ところで、忠興は“たま”があまりの美貌故の悋気が並みはずれて強かったという。こんな挿話がこの夫婦
にはあったらしく、活写されている。
・・・ふたりで膳部をはさみ、食事をしていた。このときむこうの棟で屋根師が仕事をしていたが、その男
が“たま”を窺い観たのかどうかとにかく足をすべらし、屋根から落ちた。忠興は大剣つかんで縁から飛び
降り、かなたへ駈けつけざま、その男の首をたたきおとした。例によって、首が落ちてからこの人物は後悔
した。と同時に“たま”の様子が気になり、座敷を激しいいきおいでふりかえった。
“たま”が驚いているだろうと思ったところ、“たま”の挙措はすこしもかわらず、端然として食事を続け
ている。・・・屋根師を殺してしまったのも、“たま”を愛するがためではないか。いわば“たま”が殺し
たのも同然であると思い、さらにあの“たま”の口から音のひとつも、できれば叫び声一つもあげさせて呉
れようとおもい、その生首をつかみ、駈けもどって首を空いた膳部の上に据えた。

どうだ――と、“たま”をにらみすえたが、“たま”の様子に変わりがなく箸は依然としてうごいている。
さらに、“たま”の箸が移って菜をはさもうとしたとき、忠興はたまりかねてわめいた。
「そなたは蛇か。―― 」 “たま”はわずかに目をあげた。
「鬼の女房に蛇が似合いでございましょう」といった。それだけであった。
これだけの衝撃に堪えるだけの気根をもったこの婦人が、その亭主に対し誹謗がましいことをいったのは、
このひとことぐらいしかない。・・・ 
この話は、史実かどうか分からないが二人の性格を端的にあらわしているものと思う。

        
忠興その人は大変な戦上手で政治手腕にもすぐれ、織田、豊臣、徳川と続く政治的混乱の中をうまく生き延
びた才覚は非常に優れたものがあった。また、文化人としても利休に師事し、後に茶道の一流派を興したと
いわれる。利休が切腹を命じられた時、利休を見舞ったのは忠興と古田織部だけであったとされ、このこと
は三国連太郎の映画、利休にも描かれていた。
一方、非常に苛烈な一面を持ち、上のような挿話もあるが、人質事件で“たま”が自害焼死したことについ
ては嫡男忠隆を責め廃嫡にしている。
また、自害に手をかしたとされる小笠原少斎の遺族は一時追放の憂き目にあい、さらには別の理由でその嫡
子弦也が家族十四人とともに誅殺されたと書かれている。

また跡取りについては、次男興秋は伯父の養子とされていたので嫡子とされず、三男忠利が家督を継いだ。
ちなみに、加藤清正死後熊本に入部したのはこの忠利であるが、“たま”は三男二女を儲けていた。

このように、“たま”の生涯は波瀾万丈であったが、忠興はいつも“たま”の機嫌を取り続けるような気遣
いをみせたと書かれているので、幸せな時期もあったであろう。忠興しかりである。
ただ、聡明な人であったので、信仰であれ、忠興のことであれ、肉親の境涯のことであれ、また他者に対す
る怨念であれ、秘めた内心は決して洩らさなったと思われるから、夫忠興も“たま”の心の奥底までは見え
ていなかったのではないかというのが司馬観だ。
ただ、人質事件のときにとった“たま”の行動は確信に満ちたものでありこれ以外の道はなかったのではな
いかと思わせる。享年38歳であった。(慶長5年7月17日=1600年8月25日)

「胡桃に酒」は、文春文庫「故郷忘れじがたく候」に収録されていますので、これを資料としました。
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    Author:ふうてんの猫
    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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