二年ぶりの金沢コンサート

いま、『縁』のヒットが話題になり、You Tubeでは『想い出よありがとう』が永遠のゼロに乗せてもの凄
い勢いでアクセス数を伸ばしている。歌としては両極端のものだけど、ファンはこれが島津亜矢さんの真骨
頂だと、至極あたりまえのようにして聴いている。
ニューアルバムのリリースも近いというし、来年の座長公演も決まったというし、楽しみがいっぱいです。


むかし、こんなことを書きました・・・・・。

長兵衛さま、ふんこがすぞ様 棟梁さま、皆さまこんにちは。
ガチャピンさま昨日はお久しぶりでした。ファンの集い楽しみですね~、どうか良い思い出を。
金沢コンサートにご参集のみなさまは地元準地元のお馴染みの方はもちろん、遠く関西関東、或いは飛騨か
らも、私が存じ上げている方々だけでも数多くいらっしゃいましたから、その雰囲気は心華やぐお祭りのよ
うなもの、いや~楽しいものでございました。そして遠路はるばるお越しに成るその心意気がなんとも頼も
しい、イヤ、止むに止まれないそのお気持ちがアリアリと、と表現したほうがピッタリかな~とも思うので
すが、亜矢縛りはかくも凄いものかと改めて認識した次第。
ともあれ、愉快なひと時をご一緒に過ごすことができてとても嬉しく思っております。
有り難うございました。

さて、お客の入りも上々と感じましたがサイトで拝見する大宮や、仙台と比べてどうかとなると、各会場に
出向かれた方にお聞きするほかないのですが、ここは、度胸船様談、「良く入っているよ」です。
ところで、私にとっては御園座以来のコンサート参加でしたが、待っていた時間が長かった分済んでしまえ
ばあっけなくて、何かしら空虚感が漂っています。次はどこでどうなるやら予定は立っていませんが、あれ
やこれやの情報もあることだし、そこはそれ、無い銭との相談もあるし気が急いてもどうなるものでも無し
、ぼちぼちとやっていくほかは無いのが私の道。しばらくは、サイト情報頼みになりますから、書き込みよ
ろしくと、期待するのみ。どうかよろしくお願い致します。

まあ、我が身のことなど言ったって始まりませんから、昨日のコンサートで感じたことなどを少しばかり書
かせてもらいたいと思います。
やっぱり、何といってもあの”声“ですね~、以前から分かっているつもりでも、いざ会場で聴かせてもら
うと、かくも美しいものかと認識を新たにすることができる。選曲にも拠ると思いますが今回のコンサート
ではそれを強く感じさせる構成になっている感じました。
それと歌唱力、テクニックをテクニックと感じさせない程に練り上げられていて、聴衆はただひたすらにそ
の歌声に浸っているだけでいい。‘至福のひととき’という言葉があるけれど、きっと多くのファンの方々
もこれを求めて集ってこられるのだろうと、今、自宅に居てそんな感慨に耽っています。

あの声は亜矢姫さまでしか聞く事のできないものと改めて強く思うのですが、昨日もエピソードとして記憶
に留めておいても良いと思う出来事が昼の公演でありました。
ちょうど、「お玉」を歌唱されていて姫さまの声が高く高揚するとき、女性の声で‘キャ~~’という‘喚
き声’が会場中に響き渡ったのです。まさに絶叫に近かった。声に酔うとか、声に陶然となるとかの表現が
あるけれど、昨日のは正にこの状態から発せられた声、当然に姫さまも充分認識できたでしょうし、バンド
の皆様もしっかりと認識されたことだと思います。
これと、ほとんど同じ出来事が三年前の福井コンサートでも「I Will」を唄われている時にありました。
これは私が体験した限りですから、他でもきっとあるに違いないと思うのですが、どうでしょうか。
要は、こんなことを現出させるほどに姫さまの声は、人を酔わせる魔力があるのだとの思いを強くしている
のです。

締めくくりの曲は「俵星玄蕃」、最後を飾る圧巻の歌ですがこれを待ち望んでおられる方も多いですね~、
喝采も一段と大きくて期待に違わず素晴らしい歌声を聴かせてくれました。
ところが、‘あれッ’姫さまが身振り手振りを加えてセリフを語るその時に私の耳はどうしてしまったのか
い、ところどころ聴こえ方が不明瞭になってしまうところがある。
なんだよ、この耳、おかしいじゃないけ?この前の耳鼻科じゃ歳並みって言われたのにさ、やっぱり歳のせ
いかな?。ああ、イヤダ、イヤダ、そんなのイヤダ。姫さまの声は一切合財聴きたいからさ~、耳さんよ、
お前さんだけは私の言う事いつまでも聞いてくれなきゃ困るんだ~。私は猫耳でいたいんだよ!!
ウッヒィヒィヒィ・・・・・これ、久し振りに聞いたのでしたが・・・。


さて、コンサートの話はこの辺で措いといて、
話が大きく逸れて恐縮ですが、最近とみに思うことを少し書かせてもらいます。
日本のメディア、特に公共放送メディアは自主判断する力が乏しいのかなと感じることがあります。
外国人の評価を得ると、それに迎合してさも自分たちもそのように評価していたごとく大きく取り上げる。
それ程に自主性の無さを感じるのですが、その意味では一般大衆の方が良いものを良いと認める感性はよほ
ど高いものが有ると思うのです。ところがその方向性が一致せず如何にも口惜しい思いをする時がある。
特に音楽番組で強く感じる時があるのですが、何で、自己主張できないの?そんな疑問が湧いてくるのです
ね~。
やはり、大衆が認める相対的な価値観を共有してもらわなきゃ、何の為の公共放送かと考えさせられてしま
います。秋風が吹きだす頃にはこんな思いがますます募るのでしょうね~。

それではこの辺で失礼をば。ニャ~オ~。

以上、2012/07/27 『亜矢姫』談話室に投稿

『永遠のゼロ』 と 『想い出よありがとう』

小説『永遠のゼロ』に絡んで島津亜矢さんが唄う『想い出よありがとう』が話題になっている。
この歌、2011年6月に発売されたアルバム『悠悠』に収録されているのだが、今、You Tubeに零戦の映
像と共にUPされている。
これまで、意味するところを深く考えもせずに聴いてきたこの歌だが、この映像に乗せられることによって
妙に生々しく心に迫ってくるものがある。
一人称で書かれている歌詞の一言一言が、その人の人生に同化させられて色々の事を想起させるのだが、メ
ロディーもまた、島津亜矢さんの唄声を乗せて哀切を漂わせながらも、何か‘ 吹っ切れた ’ような澄んだ
心の有り様を表しているように思えて、深い余韻に誘われる。いまさらながらに、名曲だと思う。

この映像と詩は余程の意味を持つものとして、この小説のなかに描かれているのかしらと思って興味を持ち
つつ読んでみたが、実はここで描かれるている特攻隊員とこの詩は実は何も関係ないことが解り、いささか
拍子抜けの感がしないでもなかった。
ただ、この映像とこの歌を結び付けてUPされた‘AYACHANNEL100’様のイマジネーションは小説家や、音
楽家のような豊かさがお有りだと思うし、阿久悠さんの詩作への想いにまでも心を馳せておられるから、こ
の歌に対する思いは相当に深いものがお有りだと察せられる。

小西良太郎さんが、『悠悠』の歌詞カードでこの歌について次のように書いておられる。
・・・胸を衝かれたのは、都志見隆が作曲した「想い出よありがとう」だった。「想い出よありがとう、時
が過ぎ、懐かしさだけが、胸の扉を叩きに、今日もまた訪れて来る」と、達観したような別離が、穏やかに
しみじみと語られている。聞きようによってこれは、阿久のラストソングである。彼はいつごろ、どんな思
いでこの詩を書いたのだろう・・・40年余の親交があり、阿久の最晩年も身近に居た僕は、亜矢が歌うこ
の曲の大きさと深さに、そんな感慨を新たにした。・・・

『永遠のゼロ』、読み物としては、零戦の戦闘シーンが手を変え品を変え書かれているし、根底に流れてい
るものは正義と優しさであり、それが全篇に貫かれているから、安心して読み進んで行ける。
プロットはどんでん返しのような設定もあり、いささか過ぎる感もあるが娯楽読み物としては面白い。
この作家、ある意味、浅田次郎さんにに通じる優しさが根底にあると思えるが、差し当っては次の何かを読
んでみたいと思っている。
著者は百田尚樹さんだ。氏は最近のツイッターでこんなことを書いておられる。
~『永遠の0』が出版されたのは2006年の八月。太田出版の岡さんがいろんな書評家に本を送って「読んで
下さい」とお願いしてくれたが、ほとんど読んでくれなかった。稀に読んでくれた人は「話にならん!」と
酷評し、書評にはついに一度も載らなかった。唯一、認めてくれたのは児玉清さんだった。~とある。

その児玉清さんが、この本の巻末で解説を執筆されている。
~心を洗われるような感動的な出来事や素晴らしい人間と出逢いたいと、常に心の底から望んでいても、現
実の世界、日常生活の中ではめったに出逢えるものではない。
しかし、確実に出逢える場所がこの世にある。その場所とは、本の世界、つまり読書の世界だ。もっと場所
を小さく限定すれば、小説の世界といっていい。
作者がそれぞれの思いや願いをこめて、様々なテーマで、人物や舞台や時代を設定して物語を紡ぎ出す小説
。そこには当然のことながら好むと好まざるにかかわらず、作者の全人格が投影される。
従って、常に読む者の心を清々しく洗うことのできる小説を書ける作家、素晴らしい感動を書ける作者とい
うのは自ずと限定されてくる。今回、紹介することとなった作家、百田尚樹は、まさにそうした範疇に入る
作家の一人で~~と、ある。

百田さんは、唯一認めてくれたのは児玉清さんだったとツイッターで述懐されておられるが、その恩人であ
る児玉清さんも今は亡い。しかし、氏のデビュー作である『永遠のゼロ』は240万部を突破しているのだ
という。
昨日、一昨日に今年の直木賞、芥川賞の受賞作が決まったようだが、無名の作家にとってはこの賞を獲れば
権威筋からお墨付きを頂いたというようなものだろうから、名前が知られて作品も売れるだろうし、将来が
約束されたようなものだ。マスコミも大々的に発表するから尚更だ。
百田氏は「僕には全く縁のないイベントやなあ、」とツイッターで書いておられるが、果たしていつまでも
そうなのだろうか、240万部も売っている作家さんの言葉である。

物事の権威や箔を付けるというのは、いったい誰がどのように行うのかを端的に言えば、作家ならば諸々の
賞の受賞だろうし、歌手ならばヒット曲を出すことやNHKの紅白にでること、或いは業界筋の諸々の賞を
受賞するのが最も手っ取り方法なのだろう。
しかし、忘れてならないのは大衆の目や支持だと思う。何事も大衆の支持の大きさが物事の価値判断の基準
としなければならないものだと思う。
その基準をおろそかにすると、権威筋の威力が軽くなって果ては失墜することになる。それほどに、大衆の
支持というものは重要視されるべきものだろうと思う。
だから、幸運にも権威の中枢にいる方々は公正中立を旨として、あらゆるチャンネルを駆使して、常に大衆
の動向というものを注視していて貰わなければならなし、その威力の行使も大衆が頷けるものでなければな
らないと思っている。要は権力や威力を振り回してはならないと思うのだが、如何。

http://www.youtube.com/watch?v=LMyW8vk-iNE

『むらさき小唄』

長野県大町市での「BS日本のうた」収録は今月(4日)に行われ、亜矢姫は「むらさき小唄」と「娘に」
を唄われたということです。やはり、その歌声は人の心を捉えて離さない程に感動的なものであったという
ことが各サイトの書き込みから伺い知ることができるのですが、せめて自身の感覚で感じることができる放
送日が、早く来ないかと待ち遠しい思いをしています。

歌唱された「むらさき小唄」、この歌、むかし聴いた事があるな~程度のことしか思い出さない古い歌です
が、You Tubeやその他のサイトを検索してみると、かなり詳しいことが解ってきます。
まず、歌そのもののルーツについては二木紘三さんがご自身のブログで簡潔明瞭に紹介されていますので、
それを見ればほぼ歌の成り立ちが解ります。

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2008/04/post_79fd.html

この歌は、映画『雪之丞変化』の主題歌だったようですがレコード発売は昭和10年5月のことでした。
東海林太郎さんが唄われたのですが、年数を経てもかなり流行った歌なのでしょうか、私などメロディーは
何となく思い出すことが出来ます。
物語は「雪之丞」という歌舞伎の女形を主人公にして、親の仇討、恋などを織り交ぜた人情活劇のようです
が昭和10年に映画が公開されて以来、何度も映画化されているようですし、さらに近年はNHKでもテレ
ビドラマ化されて放送されたようです。歌の方も後から出したものが色々あって多彩です。

この昭和10年から11年かけての映画についてはWebでこんな紹介も見えます。

~~~昭和10年の作品だけあって、長谷川一夫(当時の芸名は、林長二郎)が若々しく怪しいほどの完璧
な美しさです。今の芸能人には見られない完璧な美貌を見ることが出来ます。物語は、親の敵を打つ歌舞伎
の女形が主人公・・というものです。
長谷川一夫はこの映画の中でなんと3役も演じております。
その中で彼は、主人公の母親も演じているのですが、それが本当に完璧な美女に見えるので驚きでした。
後の市川昆監督の同名の映画では、長谷川一夫も随分と年をとっていたので、同役での女装はかなりキツイ
ものがありました。
映画全体を見ても、この昭和10年のものの方がスケールも大きく、ずっと素晴らしい出来ばえになってい
ます。とにかく何処をとっても「安っぽさ」を全く感じさせない大作に仕上がっています。
観ていると江戸時代にタイムスリップできる映画No1という感じです! ~~~

この様に紹介されていますから、この映画を観てみたい思いに駆られます。You Tubeでも断片的にはみるこ
とが出来ますが、通しで観なければ価値は分からない。NHKさんのライブラリにあれば是非放送して欲し
いと思うのですがリクエストしてみましょう。

さて、歌の題名ですが、なぜ『むらさき小唄』なのか、いらぬお節介ではありますが興味本位にちょっとほ
じくってみたいと思います。
どうも紫帽子にヒントがありそうですが、もともと歌舞伎役者の女形は、女性を演じる際に髷の剃った部分
を隠すために前髪をおおった紫縮緬(ちりめん)の布、紫帽子(むらさきぼうし)を頭に乗せて銀の簪で止め
ていたようですから、この姿を浮かべれば「おやま小唄」と読み替えても何となく辻褄があうような気がす
るのですが、どうでしょう。
ただ、これズバリではあまりに貧弱で艶がなさすぎますから、作詞家の先生は工夫をこらして粋に仕立て上
げてしまう。本来の曲名では、色から始まっていろいろの事が想像できますものね。
また、歌の終わりでは・・命さびしや 薄ぼたん・・と唄われますが、紫のぼたんは咲き始めは花色が濃く
次第に淡くぼかされるといいますから、敵の娘とはいえ好いて好かれた人が死んでしまえば、自分もまた薄
ボタンとなって生気もすたれる・・・・・こんなところなのでしょうか。

あれやこれや、勝手に想像を巡らしていると時間の経つのも忘れて、思い至るのは早く来てほしい放送日。
待ち遠しいですね~。
こねこ時計 ver.3
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    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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