コンサートで感じたこと

いよいよ押し詰まって参りましたが、何方様も気忙しくお過ごしのことと存じます。
お健やかに歳末を迎えられますこと何よりのこととお喜び致します。また、来る年もお健やかで幸せな年となりますよう心からお祈り致します。
さてこの一年、こんな拙いブログをご訪問下さいまして誠に有り難うございました。さして意味のない雑文ばかりで、ご披露できる新鮮な情報にも乏しかったのですが、ある意味、自己満足の慰み事と考えていますので、このまま続けて行きたいと思います。これからも、偶にお立ち寄り下されば嬉しく存じます。


つい先月のことですがこんな事を書きました・・・・・。

金沢コンサートから早一週間です。もたもたしているうちに日にちの経つのが早い早い。
‘ふうてん’も先月は金沢、先々月は多治見と、それぞれの地での亜矢姫コンサートに出かけてきました。
二か月続けてコンサートに参加出来るなどという事は、猫奴にとってはごく稀なことなのだが偶然が重なってそういう幸運に恵まれました。

さらに金沢では昼夜の公演を楽しむことができたし、遠来の亜矢友さまも多数お越しで、諸々の話に花が咲いて久々に楽しく過ごさせてもらったことは、良い思い出になりました。
やっぱりね~、姫さまの唄は連続して2回も聴かせてもらっても、その歌声に酔わされてしまって進行がとても速く感じるのですが、人間誰しも酔わせてくれるものには目がないし、良いものに触れさせてもらうについては多少の労力は厭わない。
その心意気で乗り込んでこられたお客さまが多かったと思えますから、いつものように会場の熱気は凄かった。そして充実した感動と満足感が得られたコンサートでした。

ただ、例によって早く終わりすぎるとの感はありましたが、姫様はちゃんとメニューをこなされているからそれ以上は無理というもので、欲を言っては姫様が困りますね~。いや、こんなこと口に出して言った訳ではないから姫様には迷惑は掛かっていない。
しかし、ここで少しばかり満たされぬ思いも少し書いてみたいと思うのです。
これからの事は猫奴が感じたことで、多くの方々の賛同を得られるとも思いませんが、こんな思いを持つ者もいると知って下されば嬉しく思います。

コンサートの後半では、姫様は昭和の懐メロを唄いながら会場廻りをされますが、お客を喜ばせる愛嬌溢れる口上を交えながらのサービスは姫様ならではのことですね。それも急な階段を登りながらなさるんだ、普通は階段を降りながら握手する光景はテレビで見る事があるが、それとは逆なことをなさる。
体力を要するだろうに、それを厭わずにやりこくる姿を見るとひょっとして異星人ではないかと思ってしまうがサポートするマネージャーさんの力もあるから、それは思いが飛びすぎているか?。

しかし、あの美声と歌の上手さと類い稀な身体能力を併せ持っておられるから、それだけでも驚異だが会場廻りでも歌が微塵もブレないんだからなおさらに異次元の方であるとの思いは深い。
人も羨むある熱烈ファンの方が「私にとっては教祖様みたいなものだ」とつぶやいた言葉が忘れられないが、教祖様ともなれば人を引き付けて離さないその力は絶大です。
やっぱり、亜矢姫は妙音天・美音天とも呼ばれる弁財天様に近いのでしょうね~。いや、現人神か?。

前置きが長くなってしまいましたが、これからが主旨です。
後半で会場廻りしながら唄われるのが昭和の歌、懐かしい歌がありますね~、待ってましたと声が掛かるときもある。しかしねえ、猫奴には残念でならない感情をもってしまうことがあるのですね~。
入場の時には‘むぞらしか’のパンフレットが配られて、この中にはこれまでに出されたシングル曲やアルバム、リサイタルDVD、劇場公演DVD、BS日本のうたシリーズ、SINGERシリーズなど各ページは多彩に彩られている。シングルジャケットも飾られているが、これらの歌、ファンの方なら何方も耳に馴染んでいる歌ばかりだし、アルバムの中に収められている曲も隅から隅まで聴いているから馴染みがある。

それなのに、何で他人の歌なのか、何でご自身の歌を歌われないのか、先ずこれが素朴な疑問だ。
姫様の歌の上手さは誰しも承知だから、いまさら、そう何曲も他人の曲を唄ってくれなくても猫奴の場合は構わない。昭和の歌なら名曲を数曲でいい。持ち歌に好い曲(全て好い)いっぱいあるのに、なぜそれを聴かせてくれないのか、聴かせて欲しいという思いが募って仕方ない。

あすなごころ、ふたりの人生行路 、愛たそがれ、幾山河、夢見鳥 、天竜三度笠、わたしの乙女坂、愛冠岬
人生川、思い出よありがとう、カップリングのB、その他、山ほどあるのにほったらかしにいている曲が多いと感じますね~。船村先生のような、歌供養なんてまっぴらご免だ。
もっとも、供養はされていないからこれから少しづつでも唄って下さることを期待することにします。
畏れ多くも姫様に文句は言えないから、ここでニャーニャー言ってるだけだが、真に向きを変えて欲しいと願いたいのは、コンサートの構成をされる方だ。

テイチクさんのスーパーバイザーさんももおられるのだから姫様の楽曲にもっともっとモーションをかけて販売増につながる方策も考えて欲しいと願うんだ。売れる人には大いに力を入れる、これ経済の鉄則だと思うのですがね~。そうすりゃJVCの株主も喜ぶし、社長さんも喜ぶに違いない。
姫様が天下取れば世の中万々歳で、誰でも幸せになれる。今まで聴いていなかった人も、一声二声聴けば眼まんまるにして、ぶったまげるに違いない。いや、違いないどころか絶対にそうなる。

ちょっと、ニャーニャー、ギャーギャー騒ぎすぎましたね。
バカ猫奴とお叱りになられませんように、よろしく願いしたいもんです。

以上、2014/11/05 『亜矢姫』談話室に投稿


心に響く歌唱

BS朝日で放送される「日本の名曲 人生、歌がある」を毎回録画視聴しているが11月26日の放送では
、落語の柳亭市馬さんが「元禄名槍譜 俵星玄蕃」を歌われたので興味深く視聴しました。
声はすこぶる良いし、身振りを入れての歌唱は堂々としたもので、あまりの上手さにびっくりでした。
この市馬師匠、今年落語協会の会長に就任されたそうだが、まだ52歳の若さ。体躯は大きく物腰は柔らか
で、次代を担う会長としては打って付けの方ではないかと思えたが、斯界のことを知るわけではないですか
ら、これは単なる印象です。

「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は小学5、6年の頃に覚えたらしくこの歌に関しては経験が長い。今は他の曲と合
わせてCDも出しておられるようだから、これはもう本格的なものでこのテレビ放送ではフルコーラスで唄
われた。「天は二物を与えず」と言われるがこの方には当てはまらない感じで、これからは落語を主に歌も
唄っていかれるらしい。世の中には才能溢れる方がおられるものだと、少なからず驚いた。

ただ、歌に関してはどの程度の基礎を積み上げてこられたのかは全く知らないので、とやかくのことは言え
ないが私自身はそう何度もリピートして聴いてみたいという思いには駆られなかった。
そこが唄の難しいところで、聴く者の感情を昂ぶらせ血をたぎらせ、弥が上にもその状景に引きずり込むと
いう域に達したものでは無いと感じたが、亜矢姫ファンの方が聴かれてもきっと同じ思いをされたに違いな
い。
歌の要諦は、ただ上手く唄うだけでは人の感情を支配することは出来ないのだという事も改めて感じました
が、あまり突き詰めないで通り一遍に聴けば、なるほど上手いのだから、それはそれで良いのかも知れない
。ただ「苦節何十年」という言葉もあるが、その道一筋で何十年もの間努力を積み上げてこられた方が発揮
する芸とは、その深み重みにおいて自ずと違うものだという事を感じられた方もおられたと思う。

亜矢姫ファンの方で『恋する経済』というブログを開かれている方がおられます。エポックがある度に物事
を深く掘り下げて発表しておられますが、特に亜矢姫のことに関する事柄については成程こういうことや、
こういう考えもあるのかと、新鮮な思いをさせてもらうことが多いので楽しみに読ませてもらっています。
更新されるのを待っておられる方も多いのではないでしょうか。

ここで、歌コンでの「感謝状」について書かれた中に‘フレージングやアーティキュレーション’という、
私にとっては耳新しい言葉を目にしたのですが、このまま読み過ごすのもなんだかな~と、気になりだしま
した。
一般にカラオケでは、こぶし、ビブラート、ロングトーン、シャクリ、フォール、などを駆使して独特の節
回しをするのが演歌、歌謡曲だという認識はあるのですが亜矢姫の歌を聴いているとそれが全てではなさそ
うだし、また違った表現のことを指しているのだろうか、という思いが湧いてきたのです。

亜矢姫の歌をライブで聴くときに気が付く事の一つに、フレーズに応じて声を明確に切る(無音化する)技
巧を顕著に感じる時があります。いわゆる舌を両唇で挟むような技です。このような技は他の歌い手さんで
は私が見て感じたことは殆んど無いので、亜矢姫の特徴的な技巧の一つではないかと思ったりしています。
ちなみに、ギターでの消音操作は非常に大事なことだし難しい技でもあると聞いたことがあります。
姫さまの唄は言葉が明瞭だし、メリハリもあってハギレが良いと感じるのは、こんな技の効果の現れの一つ
ではないかと思えるのですが、諸々の技法は亜矢姫さまが研鑽して身につけられたものだから、どんなに多
くのことがあっても、それを自慢げに開陳されることはないでしょう。
変幻自在の歌唱はそんな技法の数々から生み出されるのだろうな~と漠然と思っています。

この事を明確に感じたのは10月の金沢コンサートのときでした。昼は後方から心地よく何も思わずに聴か
せてもらいましたが、夜は前方の席で聴いたせいか、この声を切り上げる(切る)技が明確に感じられので
す。音符、休符には長さがあるから楽譜に忠実であろうすれば不必要に長くても短くてもいけないのだと思
いますが、そこはプロですから歌心からくる表情の変化はあるとは思います。が、しかしそれだけかしら?

‘フレージングやアーティキュレーション’について、Webにこんな説明がありました。
「フレーズ」とは意味を持った音符のまとまりです。スラーにかこまれているのもフレーズですが、多くの
フレーズは楽譜に書かれていないため、どこからどこまでをひとつのフレーズとして演奏するかは演奏者に
任されます。これをフレージングといいます。」
「フレージングは、上昇する旋律はクレッシェンドしていき、下降する旋律はディクレッシェンドする。最
初の音は強めにし最後の音を弱くする。などはフレージングの基本ですが、そういった演奏が自然にできな
いとドラマの台本の棒読みみたいな演奏になってしまい、聴き手には自分の演奏が伝わっていきません。」

「アーティキュレーション」ですが、音符にテヌート(音符の長さいっぱいに保つ)やスタッカート(短く
切って演奏)、アクセント(特に強く)やスラー(なめらかに)などといった表情記号で表されているのが
アーティキュレーションです。「アーティキュレーション」は、フレージングが複数の音の表情をあらわす
のに対して、一音の表情をあらわします。

元N響のバイオリニストの鶴我裕子さんは著書「バイオリニストは目が赤い」の中で、演奏を生かすも殺す
も、アーティキュレーションしだいであると言っています。 楽譜は台本みたいなもので、どう読んで、どう
聴かせるかが、演奏家のセンスの見せどころである。つまり、オーケストラのリハーサルは、有名な曲にな
ればなるほど、指揮者と演奏者とのアーティキュレーションの確認作業にしぼられるのだそうです。
天才といわれる演奏家はアーティキュレーションの可能性を無尽蔵に引き出せるようで、一日中この手もあ
るあの手もある・・・と、同じ曲を様々に楽しく練習できるとか・・・。
以上は、THE ORCHESTRA から引用。


『恋する経済』のAuthor様は、亜矢姫の歌唱はこんな音楽の基本も駆使しているだとと仰りたかったのだと
思いますが、分析がとても深いですね。と、同時に亜矢姫の歌唱力の深さも再認識させてもらいました。

亜矢姫を分析するサイトでは、芸の成り立ちから考察する『島津亜矢Fan』がありますが、こちらも深いです
ね。その他、掲示板も含めファンのサイトが多数ありますが、それぞれ皆様の思いが深いです。

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    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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