鶴八鶴次郎(3)

昔の冴えは見せなくても、叩き込んだ芸の力は、衰えたりともなお、当代に並びない一対の芸人とうなずかせた。場末の高座ですさんだと思われた鶴次郎の声量には、むしろ一種の錆を加えて、昔にくらべると陰影の多い魅力の加わった感じが深かった。

「勘弥が聞きに来て、大変感心して帰りました。よろしくいってくれってね」
人気役者の守田勘弥が聞いていてくれたかと思うと、鶴八も鶴次郎も、顔を見合わせて喜びを深くするのだった。

二日目が蘭蝶、三日目が千両幟、四日目は明けがらす、五日目は水月情話で、最後の六日目には、もう一度赤坂をやった。鶴次郎も熱心だったが、お豊もまた夢中だった。
お豊は、今の身分に不満はなかったが、三年ぶりに並んだ次郎さんの、昔に変わらない見事な芸を聴くと、堅気のままに老い朽ちて行く自分の生涯が淋しくなり出した。
「もう一度高座に出て、昔の人気を取ってみようか」

六日の間に、お豊は少しづつ考えた。それとなく次郎に打ちあけて相談すれば、
「私には願ったり叶ったりであるけれど、ご主人が何と云うか」

そして六日目最後の晩の出番直前に、守田勘弥の使いがやってきて、二日目の蘭蝶を聴いて、帝劇の舞台で蘭蝶をやってみたい、出語りに鶴八鶴次郎の二人を使えるかどうか――という下話があり、出られるかどうかとの話が舞い込む。
芸人冥利――場末の寄席に落ちぶれた新内語りにとって、帝国劇場の檜舞台は、一世一代の晴れの場所だ。何を躊躇することがあろう――と、お豊はむしろ不機嫌に、「次郎さん。こんな有難い話はありはしないのだから一生懸命にやろうじゃないか」
「私にはありがたい話だけれど、お前さんでられるかい」
「もしも松崎がいけないなんて云ったら、本当に私は、離縁を取って来る」
お豊はいよいよ真剣に、
「親子代々の芸人なんだから、堅気になろうと思っても、なかなかそうは行かないのかも知れない。蛙の子はやっぱり蛙なんだ」

「三年ぶりに舞台へ出て生き甲斐のある芸の仕事に、私はもう一度惚れ込んだ。次郎さんの傍に並んで、三味線を弾いている気持ちは、堅気の奥様でくらしている女には判らない。むずかしい言葉で云う芸の魅力。この五日の間に忘れていた芸人の血が、私の体中をめぐり出してしまったんだよ、いっそあのまま忘れていたら、生涯松崎の妻で終わったかも知れないけれど、今となってはもう駄目のような気がする、本当に駄目のような気がする」
「芸の中に生まれて、芸の中に育ったんだからねえ」
「帝劇へでも寄席へでもどこへでも出ようよ、次郎さん」
「…………」
「そうしたら、今度こそ私は次郎さんをはなさないつもりだ」

初日には七分の入りだった名人会が千秋楽には補助いす出すほどの景気だった。
そして、千秋楽には吉例の祝い言葉が八方から二人にそそがれた。
「帝劇へお出になるんだそうで、お目出度うございます」佐平が相好を崩して喜びながら、
「竹野の旦那へも私の肩身が広うございます。・・・しかも帝劇の檜舞台で師匠、私は全く夢のように思います」
だが、鶴次郎は佐平を振り返りもせず、「まだ決まったわけじゃないよ」と、取り合わない。

「お豊さん、ちょっと三味線を貸してください」
「どうもあそこがおかしかった。初日の時にもヘンだと思ったが、今日もやっぱりいけなかった」
「どこが……いけなかった」
こんなやりとりから始まって二人はまた、昔のようにいさかいを始める。
「拙いとも、拙すぎる。はっきり云やァなってねえよ」
「三年もやらずにいると、何を云っても芸は落ちる」

三味線を握りしめたお豊の両手がぶるぶる慄え出していた。芸にかけると嘘の云えない鶴次郎が云いたい放題の悪罵を浴びせかける。
真っ蒼になったお豊がもう口もきかずに、さっさと支度をすると、竹野や佐平には目もくれず、千秋楽の挨拶も交わさずに楽屋出ようとする。
追いすがる佐平に、
「佐平さん、私はお前がたのみに来たから出てやったんだよ」
「次郎さんが場末の席に落ちぶれているのを助けてやってくれというから出てやったんだ」
「私が出たからこそ名人会の顔付にものったんだ。いわば恩人じゃないか、それをなんだ、なんだい一体」
「手前味噌もいいかげんにするがいいや、二度と再びでてやるもんか、帝劇だろうと歌舞伎だろうと、恩知らずの畜生とは金輪際一緒にはならないよ」
聞えよがしの大声にどなって、お豊は楽屋の梯子段を駆け下りた。

追いかけて竹野と佐平とが小梅の家へ出向いて行ったが、お豊はもう誰にも逢わなかった。

次のスレへ続けます・・

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