西日本新聞の古い記事

むかし、こんなことを書きました・・・・・。

夜桜挽花様、皆様こんにちは。
いつもサイトではお世話になっております。
さて、このサイトのトップページetcに、夜桜様が蒐集された亜矢姫に関する情報記事が多数貼り付けられ
ています。ここを読めば私達の何でも知りたい欲を相当に満たしてくれて、とても有り難いコーナーとなっ
ています。
昨日、旧パソコンの中身を少し整理していましたら、「母と2人三脚」と題した西日本新聞の記事の抄録が
出てきました。この記事、こちらのetcサイトを繰ってみても見当たらないように思いますので、以下に紹
介させていただきます。内容は、皆様よくご存じのことばかりと思いますが、新しいファンの方もこちらに
訪れていらっしゃるかとも思いますので、古い記事なのですがご一読下さい。

2006年12月15日付 西日本新聞朝刊
演歌巡礼<4>島津亜矢 母と2人三脚で歩んで
「一番胸を張って歌える歌は、力強い歌、男歌」と語る島津亜矢。演歌以外の挑戦にも意欲的だ。今年8月に
他界した作曲家の高木東六は、演歌嫌いで有名だった。テレビの歌番組「あなたのメロディー」や「家族そろ
って歌合戦」では人気の審査員だったが、「喜びやユーモアを表現できない演歌は大嫌い」と公言してはばか
らなかった。その辛口審査員を「この子は末恐ろしい」と驚嘆させたという逸話を作ったのが、熊本県植木町
出身の島津亜矢だ。

71年生まれの島津が「家族そろって歌合戦」に父と姉と出場したのは5歳のとき。この番組は全国各地を
巡回し、家族ごとに動物名を付けて競い合う日曜昼の人気番組。島津は1人で都はるみの「好きになった人」
を歌った。5歳の「好きになった人」がどんな歌か想像しがたいが、島津は保育園で童謡「チューリップ」をこ
ぶしを回して歌い、それを聞いた保育士が家族に連絡帳で知らせてきたこともあるという。高木はその才能
にうなったのだろう。
「母は妊娠中、今度生まれてくる子は演歌が歌えたらいいなあと私に演歌を聞かせていたそうです」(島津)

 島津の母・久美子は45年生まれ。ラジオで歌謡曲を楽しんだ世代だ。
 そんな歌好きの家だったため、島津は3歳で地元の「ちびっこのど自慢」に出場。祖父母は孫かわいさに次
々と応募。熊本市内のデパートの屋上や目抜き通りなどの特設舞台に出向き、「週末になれば、まずどこか
で歌っていた」ほどだった。
 ついには「県内に出る大会がない」というほど優勝を重ねた島津は、小学生で「歌手になる」と決めていた。
久美子の信条は「子供の可能性を引き出すのが親の役目」。娘の夢を見越して厳しくしつけた。
初めて聞いた曲を15分で覚えろ、と母に言われて、覚えられないと、トイレに閉じ込められていた」(島
津)。かといってタレント養成所には入れなかった。「可能性があれば原石のままで拾われるから」(久美子
)だ。

 13歳で出場した「長崎歌謡祭」で、スカウトされた。だが、久美子は「13歳で上京するのは早い。まだ
チャンスは巡ってくる」と慎重で、中学卒業を待って母娘で上京した。
 デビュー間もなく、藤山一郎から「君は日本の演歌の財産だ」と励まされた。だが、「天才少女」として芸能
界に入った小林幸子や天童よしみらと同様、ヒットまで時間を要した。

 今でこそ、演歌歌手のキャンペーンは昼間にCDショップや同好会に出向いて歌うことが増えたが、島津
がデビューしたころは「夜しかなかった」。スナックや居酒屋で歌う日々。「曲は売れないし、酔っぱらって
いる人の前で歌わなきゃいけない。本当にこれでいいのか」。壁にぶち当たったとき、作詞家の星野哲郎か
ら「おまえののどと根性が腐らなければ何とかなる」と励まされた。

 一方、久美子は娘を一人前の歌手にしようと必死だった。最初の正月は帰省する金もなく、娘を都内の競
艇場に連れていった。「そこにはいろんな人生があるから、芸の肥やしにと思って。演歌を歌うのに、あの
若さでは人の機微が分かりませんから」

 当時の所属事務所から「賞を取るのにこれだけ金がかかった」と言われたことがある。島津が「賞は実力で
つかみます」と反論するなど次第に溝ができた。久美子は「娘が自分を頼りすぎてもいけない」と考え、島津
が事務所に自分の考えを言えるよう毎晩話し合い、それをノートに書かせて持たせた。「芸能界でつぶれて
しまっても、普通の人間として生きていけるように」との思いからだ。

 結局、事務所を独立。91年に「愛染かつらをもう一度」が30万枚のヒットを記録。威勢のいい曲を歌っ
ていた島津がつややかな曲で新境地を開いた。

 今も、自前のコンサートの構成に久美子は指示を出す。新たに加わるスタッフには「合宿してほしい。亜
矢と恋人と言われてもいい。そのくらい、ならないと良いものは作れない」と冗談交じりに話す。
 美空ひばりの舞台演出にかかわった人から、「ひばりさんのお母さんに会ったみたい」と言われた。そんな
「道標を作ってくれた」母と2人三脚で島津は息長く演歌を歌っている。

 =敬称略
 (神谷由紀子)
 以上、当時の西日本新聞のウェブサイトからダウンロードした記事でした。
 しまった!、いらぬ指の運動をしてしまった。アクセスしてみたら今も写真付で記事が見れます。
(現在も同様です)
 URLは下記
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/kayou/20061215/20061215_001.shtml

以上、2010/09/24 演歌桜・亜矢桜に投稿

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    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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