藤十郎 と お梶 (2)

小説の注解によれば、元禄時代は1688-1704年。五代将軍徳川綱吉の時代で、幕藩体制の基礎が固まり商品
経済が発展、町人文化が発達した時代で、特に俳諧・浮世草子・歌舞伎など文芸が盛んになり、松尾芭蕉・
井原西鶴・近松門左衛門らが活躍した時代とあります。
「藤十郎の恋」の時代背景は元禄という年号が十年あまりを経過したころとされているから、まさにこの爛
熟の文化を生み出したこの時代の京都を舞台としています。
・・・ところは京都、「江戸へ下る西国大名の行列が毎日のように都の街々を過ぎ、三条の旅宿に二三日逗
留しては江戸へ下っていくし、東国から、九州四国から、また越路の端からも本山参りの善男善女の群れが
、ぞろぞろと都をさして続いた。」・・・との表現があるあるから、この辺りの賑わいは相当なものであっ
たのでしょう。京都四条中島の都万太夫座の坂田藤十郎と、山下半左衛門座の東から下ってきている中村七
三郎との芸の競争は江戸と京の芸を競うものとして人々にはやされていました。

そんな中、半左衛門座は中村七三郎の芸が人気を博し予定を超えて狂言を打ち続けるのです。こうなると三
ヶ津(江戸・京・大阪)総芸頭とまで、讃えられた坂田藤十郎は傾城買(けいせいかい)の上手として、や
つしの名人として天下無敵の名をほしいままにしていたのであるが、こんな状況を看過できる筈もなく、心
の葛藤を生じさせることになるのでした。

そこで彼は、大阪の近松門左衛門に急飛脚を飛ばして狂言の戯作を頼むのであるが、与えられた芸題が『大
経師昔暦』・・・京の人々の、記憶にはまだ新しい室町通の大経師の女房おさんが、手代茂右衛門(茂兵衛
)と不義をして、粟田口に刑死するまでの命がけの恋の狂言であった。・・・
浮ついた陽気なたわいもない傾城買の濡れ事とは違う、命を賭しての色事であるが故に藤十郎は芸の苦心に
思い悩むこととなります。

・・・藤十郎は四十を超えた今日までには幾十人の女を知ったか分からない。彼の姿絵を、床の下に敷きな
がら焦がれ死んだ娘や、彼に対する恋の叶わぬ悲しみから、清水の舞台から身を投げた女さえない事はない
。が、こうした生活に拘わらず、天性律儀な藤十郎は、若い時から、不義非道な色事には、一指をだに染め
ることをしなかった。・・・
この辺りの表現からも、後にお梶を恋に狂わせる藤十郎の魅力というものが読み取れるし、今も昔も男女の
恋というものは成就の如何を問わず、時にこんなにも激しいものがあるのだということを知っておくことが
、この小説を理解する上で重要なファクターとなるのだと思えます。

・・・傾城買の経緯なれば、どんなに微妙にでも、演じ得るという自信を持った藤十郎も、人妻との呪われ
た悪魔的な、道ならぬ然し懸命な必死の恋を、舞台の上にどう演活(しいか)してよいかは、ほとほと思案
の及ばぬところであった。・・・
・・・それは、二月のある宵であった。四条中東の京の端、鴨川の流れ近く瀬鳴りの音が、手に取って聞こ
えるような茶屋宗清の大広間で、万太夫座の弥生狂言の顔つなぎ宴が開かれていた。・・・

騒々しい酒宴の席から離れ座敷に身を脱れれば、芸の苦心が再びひしひしと胸に迫って来る。明日からは稽
古が始まる。肝心要の茂右衛門の行き方が、定(きま)らいでは相手のおさんも、その他の人々もどう動い
てよいか、思案の仕様もないことになる。・・・そんな藤十郎の居場所にこの家の女主人お梶が入ってきて
双方思いがけない出会いをすることになる。

お梶はいきなり部屋に入った粗相を詫びながらも、冷えるこの部屋にいる藤十郎に掛け物を取り出して掛け
、部屋を出ていこうとするのだが~、
・・・藤十郎のお梶を見詰める眸が、異常な興奮で、もえ始めたのは無論である。人妻であるという道徳的
な柵が取り払われて、その古木が却って彼の欲情を培う、薪木として投ぜられたようである。彼は、娘や後
家や歌妓や遊女などに相対した時には、かつふつ(全く)懐いた事のないような、不思議な物狂わしい情熱
が、彼の心と身体とを、沸々燃やし始めたのである。・・・

さて、ここまでは制御のし難い感情が沸上がる様子が書かれているから、以前から思い続けていたものでな
いにしろ、この時の心情は心底からのものであろう、菊池寛はこの場面で藤十郎を人間的感情のある役者に
仕立てているのだと思えます。
ここからが、名文で綴られるこの小説の山場となるのですが、お梶に対して不思議な物狂わしい情熱をその
理性で抑えつつ、お梶の気持ちを燃え立たせるような言葉をつぎつぎに吐露していくのである。これらの言
葉がお梶を、自ら行燈の火を吹き消してしまい藤十郎を受け入れる覚悟をさせてしまうほどに、感情が溺れ
てしまうのだが・・、男はその傍を影のようにすりぬけて母屋に向って足速く走りさってしまう。
~この辺のところは迫真の文章が綴られていますが、省略します。

・・・闇の中に取残されたお梶は、人間の女性が受けた最も皮肉な残酷な辱めを受けて、闇の中に石のよう
に突っ立っていた。悪戯としては命取りの悪戯であった。侮辱としては、この世に二つとはあるまじい侮辱
であった。が、お梶は、藤十郎からこれ程の悪戯や侮辱を受くる理由を、どうしても考え出せないのに苦し
んだ。それと共に、この恐ろしい誘惑の為に、自分の操を捨てようとした――否、殆ど捨ててしまった罪の
恐ろしさに、彼女は腸(はらわた)をずたずたに切られるようであった。・・・

かくして、お梶は死への覚悟を決めてしまうのだが、・・・・・・・そして、藤十郎の狂言は成功し評判を
呼ぶこととなるのだが、果たして、藤十郎の心中は如何に、芸に生きるための生真面目さが生じさせた齟齬
であったと思いたいのだが、何れにしてもお梶の立つ瀬は無かったのかも知れない。
お梶の心中こそ哀れであったと思うのです。


ついでに、「おさん」に関連するすることも少し書き足しておきます。
【浮世草子】江戸時代の小説の一種で、井原西鶴の「好色一代男」によって確立され、以後80年間上方を
中心として行われた町人文学とされている。西鶴の浮世草子に「好色五人女」があり、五つの物語がある。
○姿姫路清十郎物語(お夏清十郎)
○情をいれし樽谷ものかたり(樽谷おせん)
○中段に見る暦屋物語(おさん茂兵衛)
○恋草からげし八百屋物語(八百屋お七)
○恋の山源五兵衛物語(おまん源五兵衛)

あとで、近松門左衛門が「大経師昔暦」を著し人形浄瑠璃として1715年に大阪竹本座で初演されたとあるが
、西鶴物も近松物も大経師家の女房おさんと手代茂兵衛との実際にあった密通事件を題材としており、元に
なる話はひとつである。
なお、二人の生年と没年は下記。
井原西鶴   1642(寛永19年)~1693(元禄6年 8月10日)
近松門左衛門 1653(承応 2年)~1725(享保9年11月22日)

溝口健二監督の映画「近松物語」(1954年大映配給)では、題名通り近松門左衛門の「大経師昔暦」の映画
化となっているが、実際には西鶴物を用いるよう脚本の依田義賢氏に依頼したということがWebに見えま
す。この映画、芸達者の方々が多く出演されていて、とても見応えがありました。名作だと思います。

亜矢姫の歌「おさん」は荒尾からのBS日本のうたで聴かせてもらったのが最初でしたが、それ以後は生でも、
TVラジオ等でも聴かせてもらった記憶がありません。
名作物だけでも現在38曲もありますし、この12月で40曲にも膨れ上がりますからコンサート等で取り
上げられることは、なかなか巡ってこないかも知れません。
この「おさん」が収録されたリサイタルのビデオは過去はテープしか無かったように思いますが、ようやく
今年4月に「リサイタル2000挑む!21世紀へ」がDVD化されて発売されましたので、ファンの方々
は既に楽しまれたことでしょう。
私の場合は、まだ包装の封切もせずに手許に置いてあり、暮れ正月辺りの楽しみにしようと思っています。
今、収録曲等を眺めていているのですが、シクラメンのかほり、伊勢佐木町ブルース、イヨマンテの夜、
男・・・新門辰五郎、断腸のミアリ峠、熱き心に、等があって期待が膨らみます。興味の湧かない赤白なん
ぞより、余程楽しみ大きいというものです。

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    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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