演歌の申し子

むかし、こんなことを書きました・・・・・。

夜桜挽花さま、皆さまこんばんは。
“飛翔 演歌の申し子”島津亜矢、演歌に生き、演歌にこだわる~彼女は唄うために生まれてきた。
(申し子~神仏に祈って授かった子)
こんなナレーションで始まるテレビ番組(録画)を観させていただきました。番組冒頭は「海鳴りの詩」で始まります。今から何年程前に放送があったのでしょうか、RKBとなっていますから福岡地方の放送局の番組だと思いますが、この番組は亜矢さんの演歌人生を映像と共に時間を追って紹介していきます。

放送はいきなり、星野先生のインタビューで、始まります。
・・・「初めて聞いた時、今、大スターになっている人たちに初めて会った時と同じような衝撃を受けました」
「もう、下から上まで、上は限りなくという感じの音程がありますのでね、とにかくびっくりしました、衝撃みたいなものを感じました」・・・番組は進んで、さらにナレーター氏は語ります。
「あっという間に観客を魅了してしまう艶と張りのある声、そこには無限の可能性が見える」・・・と、星野先生はもちろん、この番組の制作の方たちも、もう既に亜矢さんの将来が見えていたのです。

亜矢さんは、昭和46年島津家の次女として生まれます。もともとお母さんのお腹にいる時から演歌などをしばしば聞かされていたらしいので、もの心ついた頃からごく自然に演歌を唄っていた。「歌が大好きで、もう心の底から大好きで、唄っているのが幸せなんですね」と、亜矢さんが話しています。しかし、歌手になりたいという娘の夢を叶えるためにお母さんの猛特訓はその頃から始まります。

お姉さんが、お母さんの厳しい訓練について話します。「そう、4~5才の頃だと思うけれど、もし歌手になろうと思うのなら例えば1曲3番までの歌詞を5分で覚えなさい、それからメロディーを聞いてあと5分で唄えるようになりなさい」と、それが出来なければトイレとかに押し込められていました。
お姉さんは感慨深げに話します。「そんなことまでして、やらなくてはいけないのか」と、今の世の中だとしたら、とんでもないことですねと語ります。亜矢さんはコンサートなどで、ご自身の幼少の頃の話を時々されますが、いつも笑顔で単なるエピソードとして少し茶化して話されますから、聞くほうは何気に聞き流してしまいますが、例の右手中指の痛かった思い出はちょうどこの頃にあったんですね。実は母娘のこんな血のにじむような(本当に血が出た)厳しい訓練があったのだと、この番組が教えてくれます。

放送を観ていて思いますが、仮にこんな厳しい訓練に耐えることが出来たとしても、誰もが今の亜矢さんのようになれる訳では無いでしょうから、きっとこのお母さん、亜矢さんの声帯の太さ(インタビューで話されています)と声質とリズム感、さらに唄う才能がズバ抜けていることを見抜かれたからこその特訓だったのでしょう。もちろん娘の夢を叶えるために。
とにかく今の亜矢さんがあるのは、このお母さんの力がとても大きかったことが解ります。

そんな厳しい特訓は、いよいよ実を結び、ちびっ子のど自慢、カラオケ大会では必ず優勝してしまうようになり、出場を断られることがしばしばで6才の時にはなんと100本のトロフィーを手にしていたといいます。
しかし小学生の頃の作文ではこんな厳しい練習に耐えかねて自分の苦しい思いを書き綴ります。・・・好きな歌なのに何回も止めようと思った、母は鬼、私は獅子の子では無い、と。・・・
そして9才の頃には、ある清涼飲料水メーカーのマスコットガールに抜擢される外、地元テレビ局では「亜矢子のリクエスト演歌」という番組も持ちます。司会のアナは“天才島津亜矢子が唄います”と、曲紹介をします・・・

その後、中学卒業と同時に上京しプロに転向。そして「袴をはいた渡り鳥」でデビューします。
しかし、夢と希望の歌手人生はことごとく自分の想像していたのは違う、大きな挫折感を味わうこととなります。ある時は精神的な苦痛に苛まれて、マンションの玄関前で身体が硬直してしまい部屋に入ることが出来ず、お母さんが引き入れたとたんバッタリ倒れてしまって痙攣を起す、そんなことがあったとお母さんは語ります。
17歳の頃、精神的に参ってしまう時期があって、前に進めない、けれど後戻りも出来ない、先に対する処し方も見えない、こんな苦悩の時があったらしいのです。
そこで、熊本の実家に戻り幼い頃に獲得したトロフィーを全部捨ててしまいます。過去の栄光をかなぐり捨ててしまったのです。それからは気持ちが楽になって、新たな気持ちで歌に取り組めるようになったと話されます。
自身の口からは決して弱音は吐かない、お母さんもじっと耐えて見守る、負けじ魂のど根性が母子双方に備わっていて、根競べのような苦しい時代があったのだと感じさせます。

芯の強さと熱き心は九州育ち、自分の意思はきちんと持っている。
「私は演歌が歌いたい、この歌は私の歌ではない」先生になだめられて一度は帰るけどあくる日また、先生、泣きに行っていいですか、また同じ繰り返し。星野先生は、「こんな芯の強い娘はめずらしいですよ」と話されます。
先生も、この娘亜矢さんにかける夢は大きかったのでしょう。この娘の歌で人々を幸せにしたいと・・・
亜矢さんは、昔は演歌一本やりの気持ちが強かったようで、今の亜矢さんを知る私達にしてみれば、この話なかなか信じにくいのですが、心境の変化がどこかであったのでしょう。

放送の中では、堀川のお祖父さん(お母さん方の祖父の方だと思います)が話します。「通り一遍の演歌ではなく、あの娘に合った歌の世界を確立して欲しい」と話されています。このお祖父さん、このころ既に、亜矢さんの進む方向を見据えておられます。亜矢さんの深い理解者だったと感じます。

最近の放送番組では「シブヤらいぶ館」があって、その素晴しい唄声をたっぷりと堪能させてもらいました。
収録は7月17日に行なわれたのですが、この前日と前々日に兵庫県内でのコンサートが昼夜4公演ありましたので、果たして大丈夫なのかしらと素人ながらに心配していたのですが、放送では時間があっという間に過ぎてしまうと感じる程の大熱唱でした。プロの実力とはこんなに凄いものと驚嘆しつつ観させてもらったのを思い出します。録画しましたが、私の宝物となっています。

辞書に“切磋琢磨の功を積まざれば、その極に至りがたし”いう言葉があります。亜矢さんの唄には、いまのままで十分に、聞かせてもらう喜びと幸せを感じさせてもらっていますが、さらにたゆまぬ修練を積み上げて、いずれは世間誰もが認める、この道の極に立つ唄い手になって頂きたいと強く願っています。

亜矢さんの事なら何でもご存じの方も多いと思います。私自身のファン歴はまだ短いのですが、この録画を見させていただいて、とても新鮮な感動を覚えましたので、亜矢さんの生い立ちにおけるこの真実を、まだご存じで無い方に少しでもと思いご紹介させて頂きました。

以上、2006/10/26 演歌桜・亜矢桜に投稿

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    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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