愛のかたち~星野哲郎さんの場合

星野哲郎~妻への詫び状~から
星野さんは2003年10月に上梓した~妻への詫び状~の中で、故郷で療養生活をしていた頃に幼なじみ
の朱實さんと交わした青春時代のトキメクような会話を鮮やかに綴っておられる。

・・・僕は、ある女の子にほのかに胸ときめかせた。ところが、どうしたわけか、“そのひと”が僕の気持
ちを見抜いたらしく、近づいてきて、こう釘を刺した。「あの子に想いをよせたってダメよ」僕は内心ドキ
リとしながら、「どうして?」ととぼけて聞く。「だって日記に書いてあったもの。
哲郎さんに迫られて困ってるって。困ってるというんだから、ダメよ。諦めなさいな」そして「あの娘もダ
メよ」「それから○○ちゃんも」牽制されて気勢を削がれていた僕も、このあたりから「可愛い人だなあ」
と笑ってしまう。・・・

こんな間柄は自然の流れで昭和33年(1958)1月、結婚へといたるのであるが、その間曲折があって
朱實さんが先に東京へ出て就職することになる。この間交わされた双方の恋文300余通が結婚後一つにま
とめられて朱實さんによって保管された。
後年、星野さんが「僕らのあの手紙、いつか一冊の本にしたいね」と話したとき「あれはもうありません。
すべて焼きましたから」という言葉が返ってきた。
星野さんは呆然とするが、そう言われても仕方のない不義が自身にあったから仕方のないことだと内心諦め
るのであるが、ただ、知って知らぬ振りで通されたから、なおさらに懺悔の念を深くするのであった。
この手紙は朱實さんの死後、息子さんたちが家の中を整理したときも出てこなかったが2年程を経て寝室の
クローゼットの奥から見つかったと、旅先で連絡を受けるのである。

・・・僕はそれを大事に箱に入れ、折に触れて彼女からの手紙を一通ずつ読み返すようになった。旅の鞄に
忍ばせていき、旅先で読むこともある。そこには、彼女の無垢な愛があふれている。涙が止まらないことも
ある。僕よりもずっと“詩人”じゃないか、そう思うこともある。・・・


そして平成6年(1994)11月28日、朱實さんが急逝された。享年63歳。

・・・それから僕はすっかり気力がなくなってしまった。何をする気にもなれず、死ぬことばかりを考えて
しまった時期もあった。いなくなって初めて気づいたのだ。「幸せにしてあげたい」~そう思う人がいない
と、これほどまでに生きる気力が失せてしまうものだと。
僕にとって朱實は生きるよすがだったのだ。僕の予定では、僕が先にしぬはずだった。そして最後の時に、
彼女の手を取りながら、一言、言うつもりだった。「ありがとう。すべてきみのおかげだったよ。もう一度
人生を共にしたいと思う女は、きみだけだ。きみのほかに誰もいない」
僕はいずれ君の傍らに眠る。永遠に~。そのときこそ、僕は伝えそこねたこの言葉を、必ずきみに伝えよう。・・・

本の中にはたくさんの歌詞、詩が掲載されているが、特に夫婦の絆を印象的に詠った詩の一篇を書き写して
おきたい。
 
 日々戦場
  去し方を ふり向けば
  日々 戦場なりき
  われ、今日あるのみ
  然して 目前の「山」に登るのみ
  只、黙々と。

  明日のことは言わず、見ず
  いつの頃か、わが側に、はべりし
  女(ひと)あり、賢(さか)しき女なり
  われを支えて 共に
  今日の「山」に登る。

  登れば、即(すなわ)ち見ゆ
  新たなる 今日の「山」なり、
  然して われらそれに向う
  力勝る人をみても、おびえず、ほめず
  更に新しき 今日を求めて
  すすむわれらを、信ずればこそ、 


星野さんは作詞について語る
・・・詞にはポエジーがなければならない、というのが僕の持論でもある。日常の出来事をつらつらと綴っ
た日記のような詞を書いてもつまらない。そこに人の心を揺さぶる思いが込められていること、それが詞の
ポイントだと思っている。・・・

 帰れないんだよ
 ♪そりゃ死ぬほど 恋しくて とんで行きたい 俺だけど
  秋田へ帰る 汽車賃が あれば一月 生きられる 
  だからよだからよ 帰れないんだよ 

  今日も屋台の やきそばを 俺におごって くれた奴
  あいつも楽じゃ なかろうに 友の情が 身にしみる
  だからよだからよ 帰れないんだよ

  こんな姿を 初恋の 君に見せたく ないんだよ
  男の胸に だきしめた 夢が泣いてる 裏通り
  だからよだからよ 帰れないんだよ

この歌はある時期、“ちあきなおみ”さんのアルバムで印象的に聴いていたものだが、これの作詞が星野さ
んだと知ったのはつい先頃~妻への詫び状~でだ。元歌は“ちあき”さんではないようだが、大全集の中に
入れて唄っておられる。
この歌詞には私のような古い昭和生まれの者には、ひとしお身に沁みて共感できるところがあるが、ひょっ
として現代でも似たような事情を持つ人がいるのかもしれないと、思ったりもする。

さて、星野先生はこの本のなかで、提供した歌がヒットすることをひたすら願う心情がつづられているが、
幼い頃から天塩に掛けて育ててきたと言われる島津亜矢さんには、残念ながら現在までのところ人口に膾炙
する大ヒット曲は生まれていない。
星野先生はさぞかし心残りにされていたと思われるのだが、一方、あの満員のNHK大舞台上から
“星野先生!!”と亜矢さんから、この誇らしい姿を見て下さいと言わんばかりの呼びかけをお聞きになっ
て、どんなお気持ちだったろうか。
ひょっとして亜矢さんには常人と違った道を歩ませる心づもりがお有りだったのだろうか、あの‘温故知新’
からは恬淡としながらも、すべてを呑みこんだ心意気が感じられて如何にも清々しい感じがするのだが、果
たしてそれが先生の真意だったのだろうか、余人に測り知ることは出来ない。


亜矢さんは以前、ABCラジオ(朝日放送)の深夜放送で週一回金曜に、ご自身の近況を報告する「北から南
から島津亜矢」というラジオコーナーを1998年11月から2006年3月まで、7年5か月にも亘って
受け持った実績がある。
この番組での後年の放送を遠い広島の地で足かけ3年、約20か月の長期に亘って途切れがちの放送に聞き
耳をたて、内容を書き起こしてさった‘陸’さまと仰る熱いファンの方がおられる。また、放送終了後には
この内容を冊子に取りまとめて下さった熱いファンの方もおられる。
現在は、この内容すべてがmori様のホームページ Welcom to AYAMIME Landのアーカイブの中に、>北か
ら南からバックナンバー、として冊子形態そのままの素晴らしい形で収容されている。

放送はスクリプターを使わず、全て亜矢さんご自身が書き下ろした内容を自己録音して局に送り、放送され
たもののようですから、今から思えば、大変な思いと労力の籠った内容だと感じます。
特に星野先生との係わりについては、朱實奥様共々、絆の強さがよく解りますます。亜矢さんをより深く知
るには絶好の読みものです。

アドレスは当ページのリンクからも行けますが、更に、URLを下記に貼り付けます。
http://homepage1.nifty.com/morihome/ayahime/

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    Author:ふうてんの猫
    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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