愛のかたち~岡本太郎さんと敏子さんの場合(1)

6月24日、NHK地上デジタルで放送されたこの番組、これまで岡本太郎さんの陰にかくれて、ほとんど
表面的なことしか知られていなかった、太郎さんの妻敏子さんにスポットを当て、その生き様を濃密にあぶ
り出して見せるという素晴らしい番組でした。
そこで、ブログネタに少し書き起こしをしてみようと思い立ち、書き始めてみたのですが、テレビだと冗漫
に流れてしまうことが、より深い意味合いをもって浮かび上がってきたりして、ズルズルとはまり込んでし
い、拙文を加えることなど、何も無くなってしまいました。少々長くなりますが少しづつ書いていきたいと
思います。なお、以下はリアリティーを保つため出来るだけ忠実に放送内容をトレースしています。


太郎と敏子~瀬戸内寂聴が語る究極の愛~

・・・今年89才になられた恋多き女性、瀬戸内寂聴さんが語ります。
男と女の出会いなんて運命だからね、だから理屈なんてないんですよ、恋愛というものは雷と一緒でいきな
り落ちてくるんですよ、だから防ぎようがないのよ。ただ、男女の関係ってものはね、お互いを高めあうも
のでなければ私はつまらないと思います。

ナレーター~鮮やかな色使いによる独創的な作品を作り上げた、その太郎と50年に亘り生涯を共にした岡本
、旧姓平野敏子、二人は共に暮らしながらも結婚はしなかった。
敏子は太郎の秘書、戸籍の上では養女だった。二人三脚で芸術を生み出してきた二人は実際どのような関係
だったのか謎に包まれていた。ところが、これらの謎を明らかにする手紙や日記などの新資料がこのほど発
見された。
そこには新しい芸術を作り出そうと模索した二人の軌跡が記されていた。さらに揺れ動く激しい愛の姿も赤
裸々につづられていた。やがてその愛は驚くべき激しさを帯びていた。
この二人の関係は今年ドラマにも描かれた。晩年の敏子は、病に倒れた太郎を献身的に支えつづけた。二人
の愛は葛藤を繰り返しながらも生涯をかけて高みへと登っていった。

寂聴・・・男女の愛の形はいろいろ千差万別ですけどね、こういう愛もあっていいんだよ、と、言うことを
ね、若い人たちは見習ったらどうでしょうか。それはもう、素晴らしいカップルだと思いますね。

ナレーター~作家、瀬戸内寂聴が新資料を読み解き、芸術に生涯をささげた太郎と敏子の愛の形を探る。
東京青山にある岡本太郎記念館の館長は敏子の甥平野暁臣氏である。
平成17年に敏子は亡くなったが彼女の部屋はその日のまま残されていた。今回、初めてその部屋が調査さ
れた。叔母の思い出を壊したくない平野館長はこれまで一度も調査したことがなかった。
'ふたり’と書かれた箱から原稿が現れた。調査では実名で書かれた未発表小説や太郎直筆の手紙など、知
られざる二人の関係を物語る膨大な資料が見つかった。

これらの新資料が京都の瀬戸内寂聴にとどけられた。瀬戸内は太郎、敏子と親しい間柄だった。平野館長は
これらの資料を是非、瀬戸内に読み解いて欲しいと依頼した。
太郎がパリに長い間逗留しているときに敏子との間に交わされた双方の手紙も持ち込まれた。その中で、敏
子からの手紙の一節に「そのようなことから抜け出せないなら絵描きなんてやめてしまいなさい」「とにか
く小さな勝負をするのをやめて岡本太郎を二人で作りましょう」「岡本太郎は少し、じょう舌になりすぎて
るのではないでしょうか」・・こんな凄い内容が文面にしたためられている。

瀬戸内が二人に出会ったのは今から50年前のことであった。「かの子繚乱」執筆にあたり、モデルとした
岡本かの子の子息である太郎に取材を申し込んだのが初めてであった。

寂聴・・そのころから太郎さんの傍らには、いつも一人の女性がいたのです。平野敏子さん、秘書だと紹介
されました。でも、すぐ解りましたね、敏子さんと太郎さんが只ならぬ仲であるということが解りました。
敏子さんは決して美人ではなくて、人をそそるようなところも無かったと思うけれど太郎さんは外見とかじ
ゃなく素晴らしい素質をみたんでしょうね、だから、聡明な敏子さんに惹かれたのではないかしら。

二人の出会いは戦後すぐに遡る。敏子が22才、大学を出て出版社に勤め始めたころだった。
出会いから4年、昭和27年太郎は単身パリに渡った。芸術の本場で個展を開くための半年間の滞在であっ
た。この程発見された80通ものエアメール、太郎と日本にいる敏子が交わしたものだ。ここには離れてい
る間に敏子が徐々に太郎の創作へのパートナーへと成長していく様子が記されていた。

この頃の敏子さんの幸せな気分は、アルバム「悠悠」の中で唄われる“明日があるなら”の情景に符合する
ような感じがするのですが、詩人というのは普遍的な愛の形まで見事な詩にしてしまうところが凄いと思う。
太郎さんは、ギターでなくピアノを弾かれたらしい。


交信の断片・・・「岡本太郎の名代として、毅然としていなくちゃいけない、なりふり構わず道一すじとい
う態度でいたいと思っています」
・・・「あんな、のんびりの楽しがりやの私が変わったものだと思います。驚異的なスピードで本を読んで
います」
・・・君は実に(僕の秘書だけあって?)よい子だ」「君の手紙の書き振りは要を得ていてわかり易く、安
心した。何でも書いて来たまへ。太郎」
・・・「私は岡本太郎にかけます。脱皮したいと思う。本当に大きなものに、何処からも測り得ないような
、現実のような、巨大な謎に」「私は社会に対してその謎のばらし役、あなたは謎の作り役。とにかく小さ
な処で勝負するのはやめて、[岡本太郎]を作り上げましょう」

ナレーター~「岡本太郎を共に作る」それが具体化するキッカケとなったのが雑誌に紀行文を連載するため
の旅だった。芸術新潮 連載 芸術風土記~各地を巡り太郎の文章と写真により日本文化を見直すという企
画である。この旅で敏子は取材中に太郎が発する言葉を記録した。この仕事は敏子に秘めていた書くことの
才能を目覚めさせた。
敏子の取材ノートが残っていた。日本全国を周って記した22冊。太郎が発した言葉や敏子が太郎の思いを
くみ取って書いた文章がびっしりと記されていた。この仕事は敏子にとって太郎の考えを理解し自分のもの
として体に沁みこませていく機会となった。

寂聴・・太郎さんが何をみてどう完結したかは敏子さんだけが解る。太郎の考えを敏子が記して発表された
著作の数々。本の仕事を通じて敏子はより深く太郎を理解していった。

ナレーター~あこがれからから始まった二人の愛は創作のパートナーへとその形を変えていった。
当時の二人の関係を物語るあらたな資料が見つかった。敏子の日記である。50年に亘って記されていた敏
子の日記、そこには意外なことに暗い心情やはげしい憤りが綴られていた。
「毎日毎日彼は出かけていき、取り残されて私は新聞を読み、たどたどしい原稿の下書きをし、これはもう
、待ってる時間でもない、そして、音がし、夜中になって、酔っぱらってとりとめもないことを喋り、「敏
子が一番好きなんだよ。こんなに、とし子とし子って呼んでるのに何で不満な顔するの。いろんなことを口
走る」
「私には、よろこびも、もえ上がりも、何もない。私は何も感じない」「女性があらわれて、彼をゴルフに
誘ったり、夜いっしょに歩いたりしている。思えばさびしい生活ではないか」

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    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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