愛のかたち~岡本太郎さんと敏子さんの場合(2)

太郎と敏子~瀬戸内寂聴が語る究極の愛~

ナレーター~太郎は歌人で作家の母かの子と漫画家の父一平という、芸術一家に育った。岡本家には母かの
子の愛人も同居していた。常識とはかけ離れた家庭だった。一般的な家庭で育った敏子は太郎の型破りな恋
愛観に、なかなかついていけなかった。
それでも太郎を愛し別れることの出来なかった敏子、悩み苦しんだ末一つの結論を出した。それは恋人とし
てではなく仕事のパートナーに徹し、太郎の才能を引き出すことに専念するという選択だった。

ナレーター(日記)~私は「もっともっともっともっと、今のうちに、十倍も、三十倍も生産しなければ」
と宣戦布告した。私はもの凄く欲張りになっている。今のうちに岡本太郎に気力があり、彼が生きているう
ちに、そして彼という社会に対して魅力的な生物が健在であるうちに、あらゆる多彩な生産を成就しなけれ
ばならない。
ショウウインドー、花布、日劇のショー、映画、あらゆることをやらせたい。どんどん私が生み出し推し進
め成熟させたい。私のかってない野望、欲張りが眼芽吹いてきている。私は彼を要素として見る。

ナレーター~あれほど愛していた太郎を「要素」と言い放つ敏子。それは太郎と一緒にいたいと願う苦渋の
選択だったのだろうか、しかし、この事が太郎の芸術を大きく羽ばたかせることになる。
敏子は太郎の活躍の場を積極的に広げていった。独創的で斬新な彫刻の製作、夜空にヘリコプターの軌跡で
画をかくという企画、SF映画のキャラクターデザイン、敏子は太郎の仕事を一手に管理する秘書として自
分の居場所を確立していった。

寂聴・・私が二人と出会ったのはちょうどそのころでした。昭和36年。「かの子繚乱」を書くために太郎
さんのアトリエに足しげく通っていました。私の登場が敏子さんに思いがけない不安を与えるようになろう
とは、私は全く気づきませんでした。
太郎さんと付き合い始めて、ある日突然以外な申し出を受けました。「ところで君ね、いつも着物を着てい
るから、やっぱり畳の部屋がいいんかい」と、言うんですよ。いきなりですよ、何言ってるか解らないので
すよ、えぇっ、と言ったら、もうそろそろ此処へおいでよ、って言うんです。
此処って岡本家ですか、うん、もうね仕事は敏子さんの仕事がとても忙しくてね、可哀そうだからね、君は
ね文章がまあまあだからね来て手伝ってやってくれよ、と言われたけれど、悪いけれど私はやっと小説家に
なって一国一城の主ですからイヤですと言ったんですよ。

そしたらね、エッとか言ってね、バカだなぁお前はとか言って、天下の岡本太郎を助けるために一生捧げる
って、こりゃね、女の最高の幸せだよって、それが解らないでバカだとか言ってね、怒られたんですよ。
まあ、敏子さんが居なかったら秘書をしてあげたかも知れないですね。そうなったら、そりゃ、結婚しまし
ょうよって言ったかも知れませんねぇ。

ナレーター~こうして敏子さんの日記を読むと当時のことが色々思い出されます。日記のなかにはびっくり
させられるようなことが沢山ありました。
「二時からパーティーの予定。横浜駅に出迎え。瀬戸内さんも帰ってきた。瀬戸内さんがパッと鮮やかな白
地の小紋で、きれいなのに驚く。あの人はいま、老年なんか感じてるひまがないのだろう。照りはえてる感
じ。

寂聴・・私の失言が敏子さんの心に一種の刺激を与えたのではないでしょうか、私が現れて一か月後の日記
がありました。
ナレーター(日記)~「断片だけど、小説を書きだした。私はもとの私にかえっている。」
ナレーター~当時、瀬戸内は「夏の終り」で女流文学賞を受賞、作家としても女性としてもまさに輝いてい
た。・・・瀬戸内の失言は敏子にどのような影響を与えたのか、当時の様子を知る人物を訪ねた。
岡本家に住み込んで家事をしていた、冨田よし枝さん。40年以上太郎、敏子と共に暮らし敏子の気持ちの
変化をまじかに見ていた。

冨田さん談・・内心は瀬戸内先生に対しては怖かったんじゃないですか、ライバル意識があって、(瀬戸内
先生は)作家だから原稿もね、得意なんでしょう、(太郎)先生がお願いすれば瀬戸内先生だってお手伝い
するかもしれないじゃないですか、自分の立場が壊れるかなっていう不安はあったんじゃないですか。・・

ナレーター~ようやく確立した秘書の座を瀬戸内に奪われてしまうのではないか、追い詰められた敏子がさ
らに太郎との結びつきを強めようとする様子が日記から伺える。
「新しい攻撃目標は何なのかしら?」まだ達しない何か、目前の峯に対して、アタックをかけていないと、
空虚になってしまう。彼に再び火をつけなければ、私の意味もなくなってる。

ナレーター~その頃、敏子と太郎の結びつきを深めるきっかけとなる出来事があった。太郎が美術団体二科
会を脱会したのだ。二科会は日本の美術界に大きな影響力を持つ団体、当時、画家が団体に属さず一人で活
動するのは困難だった。敏子の助けは不可欠となった。
二か月後には個展が控えていた。画家としての運命を決める瀬戸際、太郎は猛然と新作を書き始めた。日記
からは日々アトリエで太郎に付き添う敏子の様子が浮かび上がる。

「この頃毎日、一日中絵を描いている。それを眺め、けしかけ、相槌をうち、キャンバスをとりかえ、あれ
これ世話をやき、私も張り切り、新鮮になり、スリルに輝いて疲れにも気がつかない」

調査中の日記から新たな記述が見つかった。敏子が絵の内容にまで深くかかわり始めていたのだ。
・・太郎・・どうもこれははっきりしなんだ、お前が急ぐからだよ。モチーフがまだはっり決まらないうち
に描き出した。
・・敏子・・あら、そんなことはないじゃない、モチーフはあったじゃないの。この絵はね、こってりして
、頽廃的で何か妖しい、そういうものになれば出来上がりだとおもうのよ、私は。 
「ふうん、そうかね」なんていって彼は描きだす。ずばずばずばと黒い点々を描き、緑を入れ、黄色を静か
に沈ませ、一気呵成に、みるみる絵は、凄みををおびて輝きだしてきた。
「いいじゃない、変に美しい。そうよ、こういうのよ。ねえ、この絵は明快にはしないでね。頽廃的でなき
ゃ駄目よ。」
「何が頽廃的だい」と彼は笑っている。「だけど出来たな。判ったよ、もうこれは出来る」

日記に記されていた絵は、今回の調査でこの「回帰」(昭和36年)のことだと判った。敏子は太郎の絵の
モチーフを大きく左右する存在になっていた。さらに三日後の日記には敏子が具体的に色を指示する記述が
あった。
「すごい孤独・憂鬱な絵にしちゃえば」「眼の白いところにブルーをかければ、憂鬱になるよ。やってやろ
うか」・・「いや、眼は白い方がいい。」
こうした敏子の行動をアトリエを訪ねてきた瀬戸内も目撃していた。


この頃の敏子さんの心境はまさに、アルバム「悠悠」で唄われている“運命~やっと天使がこっちを向いた
~”のなかで詠われている主人公のように、激しい情念が様々に揺れ動く世界にあったのだと思えます。
そして、この詩の世界が現実のこととして有るんだということに思い至ると、阿久悠さんはどこでこんな世
界を垣間見たのか、或いは‘かも知れない’という想像だけで作詩されたのか、ともあれ、人の心のひだひ
だまで洞察してしまう繊細な心の持ち主でなければ出来ない技と思えるし、そこがやはり凡人とは違うとこ
ろなのだと納得してしまいます。

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    亜矢姫の唄は芸術だと固く信じているおじんです。
    コンサートなどに参加したい気持ちはやまやまなれど、不如意のことが多いので、これは条件が整い次第となっています。

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